今はどうか知らないが富山市には朝鮮焼肉店がない。37年昔のことになるが富山市に一年半住んだ。日本海の荒波でもまれた魚がこんなに美味いとは知らなかった。しかし毎度刺身では飽きがくる。当時は”肉党”だったから大好物の朝鮮焼肉を探し歩いたのだが、みつけることができなかった。
今でこそ日本海側は裏日本と称するが、かつては日本海側が大陸との交流があった表日本であった。当然、朝鮮半島の食文化が一番先に入ってきた筈である。それなのに朝鮮焼肉の店がない。
政治部時代には新橋の朝鮮料理店に週に二回は行った。ビールを飲みながら友人と網焼きの焼肉を突っつく。煙に咽びながらカルビ、ロース、ハラミ、ハツなんでもござれ。ニンニク臭くなるのも気にならなかった。
その大好物が富山市にないのはショックだった。その時に朝鮮焼肉は日本生まれだと教えて貰った。醤油を基本として酒、砂糖、ニンニク、ゴマなどを調合して作ったタレも日本独自のものだという。
一説には臓物肉を朝鮮人女工が貰ってきて、焼いて食べたのがホルモン焼きの始まりだという。ホルモンを焼いて食べる習慣は朝鮮にはない。それが戦後、朝鮮焼肉となって大流行したのだという。私が初めて朝鮮焼肉を食べたのは、有楽町の裏通りにあった小さな屋台店だった。
戦後の焼け跡文化のひとつなのかもしれない。ロースやカルビなどの精肉を用いるのはずーと後のことになる。私にはホルモン焼きといわれた初期の朝鮮焼肉の方が懐かしい。今でも月に一度はつくば市内にある朝鮮料理店に通っている。
”毒ぎょうざ”で有名になった餃子は、歴史が古く中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からはすでに食べられていた痕跡が見つかっている。敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されている。(ウイキペデイア)
日本に入ってきたのは戦後、満州から引き揚げてきた人が伝えたという説がある。もっとも徳川光圀が日本で初めて餃子を食べた人物という説もある。いずれにしても日本人好みの餃子になったのは戦後のことだろう。
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1676 富山市と朝鮮焼肉店 古沢襄

コメント
小生12年前から4年半富山勤務。
富山駅裏(木場町?)にあります(当時はありました)。店の名前「漢河」(はんがん?)。奥さんが元韓国人です。旦那は日本人。美味です。