彼の「反日」姿勢は是正されたが、中華ナショナリズムは骨の髄まで。
日本における馬英九(次期台湾総統)への危険視は急速に薄れた。当選を聞いたとき、多くの日本人は失望を禁じ得なかった。しかし国民党圧勝の現実を前にすれば、好むと好まざるとに関わらず、それが台湾民衆の選択である以上、受け入れざるを得ないだろう。
当選の翌日に小生は馬英九との記者会見で『反日』に関して直撃した。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080325/22545
台湾人の思考回路は、率直に言って日本人のように短絡的二元的ではない。論理的でもない。目の前の中国大陸の強大な市場と、軍事的脅威とアメリカへの心理的依存。しかも目先の利益と日常の経済と、日本への依存度がありながらも、しかも日本が好きだが、日本は政治的には何もしてくれないではないかとする失望と焦り。
であるとすれば、当面の現状維持を台湾自らも勝ち取るには、民進党よりも、ベテラン政治を歩むほかの政党でもよい、という輻輳した思考回路から馬英九への期待が醸成された。
60歳代以上の台湾人に強く残る危機感は、わかい台湾人にはない。
台湾人意識が希釈化したのではなく、むしろ台湾人のアイデンティティは、近年ますます強くなりながらも、それをうまく吸収できなかった民進党の選挙戦術のあやまりが、国民党を中華思想の政党と考える前に執権党の復活を許したのだ。
産経新聞は3月26日朝刊トップで李登輝(前台湾総統)への独占インタビューを掲載し、「(統一をいう馬が新政権を担っても)『中国台湾統一』の加速はない」と明確に述べている。
コラム「正論」でも岡崎久彦氏は同様な判断に立って、あの結果は「一種の楽観的見通し」の存在がある、と指摘している(産経、3月26日付け)。
馬英九は中華ナショナリズムの信奉者であるため、危機に遭遇すると大きな判断ができない危険性が残存する。
しかしながら台湾民衆が「台湾人アイデンティティ」と同時に現状維持の選択をするという絶妙なセンスを見せたのも、馬英九が基本的に親米であり、反共という思想基盤のうえに、台湾の若者のあいだに急速に浸透したシビル意識(市民意識)を刺激しつつ、反日姿勢をすくなくともポーズとしては捨て去り、そのうえで北京と協商のみの交渉をしようとしたところにある。
ビジネスマンの強大な支持があったのも、ビジネス志向、株式市場の回復が優先だったからだろう。
国民党の新装なった本部へ行って驚いた。国民党本部は一流企業のオフィスのごとし、熱烈な蒋介石ファンの、独特な愛国的中華主義の雰囲気はなかった。
また国民党の利益は北京の利益と大きく抵触するため、馬の目下の関心は国民党の利益擁護だから、早急なる中台統一はない、むしろ遠のくとみる李登輝、岡崎久彦両氏の分析は、それないに正しい。
台北滞在中に得た、信頼できる台湾筋情報では、馬英九は李登輝を尊敬しているという。李が最後の土壇場になるまで民進党支持を見送った理由のひとつに、馬も粛萬長(次期副総統)も国民党時代の自分の後輩、教え子にあたるからだ。
▲チベットの虐殺は遠い世界の出来事
さて小生にとって最大の衝撃は大差による民進党の惨敗ではなかった。あのチベットにおける中国共産党の暴虐が行われ、仏教徒への虐殺がおこなわれている最中に、台湾総統選挙の争点が梃子となって、チベット問題が逆風を起こさなかったという、あまりにも現実的な台湾選挙の反応だった。
チベットの血の弾圧は台湾でも大きく報道され、日本には伝わっていない残虐な映像がテレビに流れ、自由広場ではチベット人のハンガーストライキを支援する多くの台湾人の輪ができた。
だが選挙結果にはすこしもチベット問題が影響したという形跡がない。
筆者は考えた。随唐の時代、チベットは杜蕃といい、いまのチベットから青海省、四川省、甘粛省、峡西省などを勢力圏に、つまり当時は随唐とならぶか、版図としては随唐よりも広い帝国、一時は長安を軍事的に陥落させたほどの大国だった。
それゆえに漢族はチベットの王に姫君を嫁がせ、宥和をえた。そのときの恐怖心が漢族のDNAに残り、ロシアがいまも「タタールのくびき」を畏怖するように、「チベットのくびき」という歴史上の感覚が残るのではないか。それは漢族としての外省人には、確認するまでもなく顕著である。
しかもチベットは現実に中国共産党の軍事的支配下にあり、そうではない台湾とは根本の感覚が異なる。
▲北京五輪ボイコットを政治利用できるか
たしかに馬英九は「五輪ボイコット」を叫んだ。精密にかれの発言をトレースすると、馬は次のように発言している。
「もし、チベットにおける情況がさらに悪化し、弾圧が拡大するとすれば、我々は北京五輪ボイコットも選択肢の一つとして考慮の対象にする可能性を残しておく」。
北京五輪ボイコットの選択の可能性を、すでにフランスの外務大臣が述べたが、米国のブッシュ政権は慎重である。日本政府は考慮にさえいれていない。
馬英九の持つ近未来の危険性は中台統一が究極の目的でありながらも、じつは小生らの質問に答えた次の発言のなかにある。
「次の四年、希望的にはあと八年間で、わたしの政権ができることは限られている。長期的戦略的な基礎を提示できるような努力をわたしは任期中にするが、理想の実現は簡単ではない(つまり中台統一は自分の政権では難しい)。だから当面は(ビジネスがしやすいように)中国との『和平協商協定』の締結を急ぎたい」。
このようにふとした発言に含まれている中華ナショナリズム。なぜ李登輝氏のように「中国が民主化されたあとで、話し合いをすればいい」と言えないのか。つまり馬の価値観のなかでは「民主」の上位に「中華ナショナリズム」があること、それが馬英九にまだ強固に残存する危険性なのである。
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1688 馬英九の何がまだ危険なのか? 宮崎正弘

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