1972(昭和47)年3月27日に「西山事件」が始まった。西山太吉は毎日新聞東京本社政治部の外務省担当キャップ。その前の総理官邸クラブでは衝立を挟んで向かい合わせという身近な存在だった。
その後、西山は外務省担当となり、私は衆議院記者クラブを経て自民党福田赳夫担当となり、いよいよ近付いた「角福戦争」の取材に忙殺されていた。
沖縄返還を確実にした佐藤栄作首相は、それ故に求心力を失いつつあったが、外相福田赳夫に政権を譲るハラに変化は無いと自民党内は考えていた。しかし、ライバル田中角栄は「禅譲」を阻止すべく虎視眈々としていた。
そうした中、3月27日午前、衆院3階の第1委員会室での予算委員会で社会党の若手議員横路孝弘が右手に1通の外務省公電のコピーを翳し、「沖縄返還をめぐって日米間に密約あり」と暴露した。「西山事件」の始まりだった。
暴露されたのは1971年5月28日付けで愛知揆一外相が牛場信彦駐米大使に宛てた、愛知外務大臣とアーミン・マイヤー駐日大使会談の内容及び、同年6月9日付けで福田赳夫外相臨時代理と中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とスナイダー駐日公使との交渉内容の合計3通だった。
この電信内容は、返還に伴う軍用地の復元補償で、米国が自発的に払う事となっている400万ドルを実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在が露呈させるものだった。
これらは西山が横路に手渡したものであり、当然ながら野党は大きく問題にしたが、政府の側は「政争の具にした」と認識し、誰が・なぜ・いかなる目的を持って機密文書を漏洩したのか、その背後関係を調べようとした。
西山は、電信内容から個人情報の手がかりを消すことなく横路に手渡したため、決済欄の印影から、文書の出どころが安川壮政治担当外務審議官と分かってしまった。私はこのことにとても立腹したものだ。
この間、毎日を初め朝日などマスコミ各社は「報道の自由」を掲げて居丈高に政府を非難した。しかし、佐藤首相は薄ら笑いを浮かべながら余裕綽々だった。
3月30日 外務省の内部調査で、外務審議官付女性事務官蓮見喜久子が「私は騙された」と泣き崩れ、渋谷のホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白した。
事件暴露から8日後の4月4日、外務省職員に伴われて蓮見が出頭、国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反で逮捕。同日、同111条(秘密漏洩をそそのかす罪)で西山も逮捕された。逮捕された西山は情報源が女性の蓮見事務官であることを特に秘匿せず供述している。
4月5日、毎日新聞は朝刊紙上に「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開した。
4月6日、毎日新聞側は西山が女性事務官との情交関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が世間に公になることは無いと考えて、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。
しかいし4月15日、起訴状の「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。
ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の佐藤道夫(のちに第二院クラブ、民主党参議院議員)であった。
こうして、世論は問題の中心をスキャンダルと認識し、密約の有無から国民の目はそれていった。また、政府は国家機密法の制定を主張した。
ここに及んで毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた女性事務官にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手したことを知りながら「知る権利」による取材の正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。
社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。
核心の「密約」に関するマスメディアの疑惑追及は完全に失速。草の根的不買運動と石油ショックで経営不振に見舞われた毎日新聞は翌1975年に会社更生法適用を申請することになる。
1976年7月20日 2審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告、蓮見事務官は1974年1月30日、1審で懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。
西山は一審判決後毎日新聞を辞職し、女性元事務官は失職さらに離婚にまで追い込まれた。一方で、政府による密約の有無については、人々の関心から遠ざかっていった。
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかったとし、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」と主張して、2005年4月、政府に対し3300万円の損害賠償と謝罪を求めて提訴した。
2008年2月20日、東京高裁(大坪丘裁判長)は一審・東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。西山は上告し、事件は36年後の今に続いているのだ。
これに先立ち2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長吉野文六が、「復元費用400万ドル(当時の換算で約10億円)は、日本が肩代わりしたものだ」と発言したと北海道新聞が報じた。
同日の共同通信の取材に対しても「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。
また24日、朝日新聞の取材に対し、当時の河野洋平外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。
2007年10月6日、密約を裏付ける内容の別の公文書が、米国立公文書から発見された(「72年沖縄返還時、「核密約」示す米公文書を発見」『讀賣新聞』10月7日号)。
この公文書は、2005年に機密指定が解除されていたもので、日本大学法学部の信夫隆司教授が、米国立公文書館から入手した。
外務省は、同文書の発見について「文書がどんなものか定かではないのでコメントする立場にない。核の『密約』は存在しない」と従来の主張を繰り返し、高村正彦外相は『毎日新聞』の取材に対し「密約はなかった」と言った。
取材で知り得た情報を西山氏が取材目的外に安易に流出させたために起きた事件であったが、毎日新聞は2007年2月に糸川正晃議員に対する取材でも同様の事件を起こしている。
事件から経営危機に陥った毎日新聞は、日本共産党と創価学会との「和解」(宮本顕治委員長と池田大作会長の会見)を仲介することを手土産に創価学会機関紙「聖教新聞」の印刷代行を受注して糊口を凌ごうとした。そのためこれ以後、創価学会の影響が強く見られる。文中敬称略。2008・03・26 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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