1704 伝記小説と年譜作り 古沢襄

昭和65年(1990)のことだったろうか。田村俊子賞の受賞作家である一ノ瀬綾さんの突然の来訪を受けた。私の母・古沢まき子(本名 真喜)の伝記小説を書きたいので協力してほしいと言われた。
なかば驚きながら「出来るだけご協力します」と答えたが、それからが大変であった。手元にある資料や写真の提供は簡単であったが、亡母を知る人たちの紹介、関係のある本や雑誌などを私なりに探すことに忙殺された。
一ノ瀬さんは伝記小説の執筆まで二年間も資料整理に費やしている。母は七十二歳でこの世を去ったが、その72年間の年譜を作成しながら、矛盾点があると問い合わせがくる。多くの人から聞き取り調査を一ノ瀬さんは重ねてきたので、私の記憶とは違う点が出てくる。
伝記小説の基本はきちんとした年譜の作成だと初めて知った。これは根のいる緻密な作業である。小説なんて文章が上手ければ自由自在と思っていた私は自分の不明を恥じるしかない。
父も母も小説家のはしくれだったから、私も人が書いたもののあら探しに手を染めたことがある。書かれたもののあら探しは案外気楽なものである。だが自分でひとつの伝記小説を書くとなると生やさしいものではない。
筑摩書房から発刊された一ノ瀬さんの「幻の碧き湖 古沢真喜の生涯」を贈られて、作家の仕事の大変さをあらためて知った。以前に「評伝 武田麟太郎」を書いた大谷晃一さんの取材を受けたことがある。まだ朝日新聞の文化部記者だった大谷さんの聞き取りノートが何冊もあって驚いたのだが、新聞記者だからメモ取り魔なんだろうと、当時は簡単に考えていた。
一ノ瀬さんの仕事ぶりに触発されて七年後に私も「沢内農民の興亡」という本を書いた。父・古沢元の伝記小説なのだが、少し欲をかいて古沢家十代の歴史物語の体裁をとった。菩提寺の過去帳、盛岡藩雑書、盛岡藩覚書などがあったので、古文書を読み解く苦労はあったが、一年がかりの準備で執筆に取りかかることができた。
しかし何よりも幸運だったのは、吉田仁さんという編集者の協力を得ることができたことである。編集者というと原稿取り程度の認識しかなかった私は、吉田さんから文章構成上の矛盾点、歴史事実の誤認、事実関係の曖昧さなどを完膚無きまで指摘され、脱筆までさらに一年間近い日時を費やしている。おまけに詳細な年譜まで作成してくれた。
吉田さんという名編集者がいなかったら「沢内農民の興亡」を出版できなかったと思う。それでもこの十年間で内容の不備、解釈の違いなどが新たに出ている。再版する機会があれば補筆したいと思っている。一冊の本を出すことは、大げさにいえば血と汗の結晶でもある。自分でそういう経験をしたので、他人の本をあげつらうことをやめて久しい。
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