人種差別(隔離)校は昔も今も学力が劣っています。ブラウン教育委員会がもたらした劣悪な教育制度は(公民権運動の)50年後の現在も白人と黒人の生徒間の学力ギャップを解消していません。
合法化された差別。
そこでは黒人は、しばしば暴力的に資産を所有することから排除されてきました。あるいはアフリカ系アメリカ人のビジネスオーナーは、事業ローンを組むことができませんでした。あるいは黒人の住宅所有者は抵当権設定による住宅資金の調達ができませんでした。あるいは黒人は組合、警察、消防から排除されてきました。黒人家族は、将来の世代に残すわずかばかりの富を蓄えることができませんでした。その歴史は、黒人と白人の富と所得の格差を説明しています。今日の都市と地方のコミュニティには、多くの貧困集中地区が残っています。
黒人男性の経済機会(就業)の不足、そして家族を養えないことから来る恥辱と欲求不満。これは家庭の崩壊を招きます。長年、福祉政策は悪化してきました。多くの都市の黒人居住区の社会的基本サービス(インフラ)は不足しています。子供が遊ぶ公園、受持ち区域を見回る警察官、定期的なゴミ収集、建築規則監視。すべてが不足しており、この悪循環が暴力、傷害、人命軽視のサイクルを招来し、我々を悩まし続けています。
これが、ライト師と彼の世代、アフリカ系アメリカ人が育った現実なのです。彼らは、1950年代後半と60年代前半に成年に達しました。差別、人種隔離がまだ現行法で有効な時代だったのです。注目に値することは、多くが差別・隔離に直面してそれを克服したことです。多くは私のように、失敗ではなく、むしろ成功しました。
しかし、アメリカンドリームを体得した一方で、それにたどり着けなかった多くの人々がいました。差別に打ち負かされた人々。敗北の負の遺産は将来の世代に引き継がれました。街角にたたずむか、刑務所で苦しむ青年や、あまりにも若すぎる女性たち。将来に対する望みや見通しもありません。
成功した黒人でさえ、人種についての疑問、人種差別主義があるのではないかという疑問が、基本的に彼らの世界観を定め続けているのです。ライト師の世代の男性と女性にとって、屈辱と疑いと恐れの記憶は消えてはいませんでした。また、その時代の怒りと苦(にが)さは去ってはいません。その怒りは、白人の同僚や白人の友人の前では公然とは表明されないかもしれません。しかし、それは床屋で、または、キッチンテーブルのまわりで聞かれます。時々、その怒りは、人種票を期待する政治家によって利用されたり、あるいは政治家自身の欠点として指摘されたりします。
そして、時折、その声を日曜日の朝の教会で、説教壇で、そして教会の席で耳にします。ライト師の説教のいくつかでその怒りの声を聞いて多くの人々が驚くという事実は、アメリカでの暮らしの中で日曜日の朝に最も(国民が)分裂した状態になるという、古くからの自明の理を我々に思い出させます。
その怒りは、必ずしも生産的でありません。しばしば、それは本当の問題を解決することから注意をそらします。怒りは我々が我々の状況の中で真正面に考えることから遠ざけます。怒りは、アフリカ系アメリカ人のコミュニティが本当の変化のために必要な連帯を創り出すのを妨げてしまいます。しかし、怒りは本物で、強力です。単に消えればいいと思うことは、そのルーツを理解することなく非難することに等しく、人種間に存在する誤解の溝を広げるのに役立つだけです。
実際、(黒人と類似した)怒りが白人社会の中に存在します。主役を担う中流階級の白人は、彼らが特に人種によって特権的だったとは感じていません。彼らの体験は、移民の苦労と苦渋の経験です。彼らに関する限り、誰も彼らに何も遺産として手渡しませんでした。
彼らはゼロから資産を造っていったのです。彼らは生涯ずっと、一生懸命に働きました。しばしば外国に彼らの仕事を奪われてきました。あるいは彼らの年金が退職後に減額される目にもあってきました。彼らは将来を心配しており、夢がすり抜けてゆくと感じています。停滞した賃金と国際競争の時代には、機会はゼロサムゲームとみなされるようになります。
ゼロサムゲームでは、一人の成功は他者の犠牲の上にあります。彼ら白人が、町中の学校に黒人の子供たちをバスで運ぶように言われる時、あるいは黒人が(採用枠で)良い仕事に就いたり、良い大学への特別入学枠を得たりするのが、彼ら自身が決して犯さなかった不正のための黒人優遇策だと聞くとき、また、都市近隣の犯罪についての彼らの恐れには偏見があると言われるとき、憤慨は時間とともに高まります。
黒人社会での怒りのように、これらの憤慨は礼節ある会社では必ずしも表明されません。しかし、彼らは少なくとも一世代(30年)にわたって政治の現場で寄与しました。福祉と(弱者に対する優遇策という)積極行動についての思いは、レーガン連立(民主党から共和党へ鞍替え)を創り出すのを助けました。政治家は(黒人の思いを)選挙のために利用しました。テレビのホストと保守的な解説者は、人種差別主義のいいかげんな話を創り上げました。一方で、人種的な不正と不平等に関する真面目な議論を退けてきました。
黒人の怒りの表明はしばしば逆効果になってしまうとわかってきましたが、ちょうどその裏側では、中流白人の鬱屈した憤慨がありました。インサイダー取引、疑わしい会計実務、短期の貪欲な儲け優先の投資社風。ワシントンは、ロビイストと特権に群がる人々、大衆より少数派を優遇する経済政策によって支配されました。人種差別主義者ではなく、まっとうな白いアメリカ人の憤慨がなくなればよいと思ってます。
これが現在、我々がまさしくいる「場」です。我々が長い間はまり込んだ人種問題の手詰まり状況という「場」です。私に対する黒人、白人からの批判があることは承知していますが、私はこれまでそう単純でありませんでしたし、今回の選挙、この立候補、特に私のような未熟者の立候補であっても、人種的な境界を乗り越えることができると信じています。
私はここに堅い信念を断言します。神に対する私の信仰と米国民に対する私の信頼です。そのふたつが一緒になることで、我々は人種的な傷のいくらかを越えることができます。実際のところ、我々がより完全な統合へ道を歩み続けるのならば、我々には外の選択肢はないのです。
黒人のコミュニティにとって統合への道のりは、「過去の重荷を受け入れるものの、過去に私たちの未来を縛られない」ということを意味します。それは将来のために正義を目いっぱい主張し続けることを意味します。しかし、それも我々の特定の要求、例えばより良い健康管理、より良い学校、仕事の改善などと、すべてのアメリカ人のより大きな願い、例えば物価高に苦労している白人女性、レイオフされたままの白人男性、家族を養おうとしている移民などの願いと、思いは一緒なのです 。
子供たちとより多くの時間を過ごすこと、子供に読み聞かせること、いじめやら差別に直面するかもしれないが決して屈してはいけないこと、彼ら自身の運命を自らが描くことができると常に思っていなければならないと彼らに教えることが大切です。(つづく)
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