皮肉というか、典型的な、つまり保守的なアメリカ人の「自助の精神」は、ライト師の説教で頻繁に語られています。しかし、私の元牧師がしばしば理解できなかったのは、自助のプログラムに乗り出すことは、社会を変えることができるという確信をも必要とするということです。
ライト師の説教の深い間違いは、彼が我々の社会で人種差別主義について話したということでありません。まるで我々の社会が静止(膠着)状態であるように話したということです。あたかも、まるで進歩がなされなかったように。この国は、彼自身のメンバーのうちの1人(私)がその土地の最高層のオフィスに入居し、黒人と白人の連立を、ラテンアメリカ系とアジア人、富める者と貧しい者、老いと若きとの連立を築くことを可能にした国なのです。それにも関わらず、この国が悲劇の過去にまだひどく縛られているかのようにライト師は語りました。
しかし、我々が知っているもの、我々が見てきたたもの、それは「アメリカは変化できる」ということです。それが、この国の本当の天賦の才です。我々がすでに成し遂げたものは、我々が明日成し遂げることができ、成し遂げなければならないもののために大きな希望を与えてくれます。
白人のコミュニティで、より完全な統合への道は、アフリカ系アメリカ人のコミュニティを悩ますことが、黒人の人々の心の中にだけにあるというのではない現実、すなわち「差別の遺産」を認めることから始まります。現在の差別は過去に比べて露骨ではないのですが、それは現実にあり、触れなければなりません。言葉だけでなく、行為で差別をなくしていかねばなりません。
我々の学校と我々のコミュニティに投資することによって。我々の公民権法を実行し、我々の司法制度で公正さを確実にすることによって。前世代が利用できなかった機会のはしご(支援策)をこの世代に提供することによって。すべてのアメリカ国民は、夢は他者の犠牲、代価で実現するものではないと理解する必要があります。黒、茶、白の子供たちの健康、福祉、教育に投資することは、最後にアメリカ全てに繁栄をもたらすことになります。
結局、今求められることは、それ以上でもそれ以下でもなく、全世界の偉大な宗教が求めているものと一緒です。すなわち、汝の欲するところを人に施せ、ということです。兄弟のごとくに接せよ、と聖書が我々に示しています。姉妹のごとくに接せよと。みんながお互いの共通利益を見つけよう、そして、我々の政治にその精神を反映させていきましょう。
我々は、この国で選択ができます。我々は、分裂と対立、シニシズム(冷笑主義)を育む政治を受け入れることもできます。我々は、ただの野次馬として人種問題に関わることもできます、OJシンプソン裁判でそうしたように。または悲劇の跡をたどることもできます、ハリケーン・カトリーナの余波をたどったように。または毎夜のニュースのネタとして。我々はライト師の説教をあらゆるチャンネルで、毎日楽しみ、今から選挙までそれについて語ることができ、この選挙キャンペーンで唯一の質問をします。
私が彼の最も攻撃的な言葉を信じるのか、共鳴するのかと。我々はヒラリー・サポーターによる若干の失態、すなわち彼女が人種カードをもてあそんでいるというのを証拠として非難することができます。あるいは、我々はジョン・マケインに彼の政策に関係なく白人全員が総選挙で群がるかどうかについていろいろ思索することができます。
我々はそうすることができます。
しかし、我々が差別の問題から離れてしまえば、次の選挙で我々は他の問題を話題にしていることでしょう。次の次の選挙でも別のテーマで、その繰り返し。結局は何も変わりません。
それは、ひとつのオプション(選択肢)です。現在、この選挙で我々は一緒に集っていますが「今は人種を論ずる時ではない」と言うこともできます。
今回、我々は、黒人の子供たち、白人の子供たち、アジアの子供たち、ヒスパニックの子供たち、アメリカインディアンの子供たちの未来を奪っている学校崩壊について話したいのです。
今回、我々は、これらの子供たちは学習能力がないんだ、それらの子供たちは我々(白人)に似ていないから他の誰かの問題だというシニシズムを拒絶したいです。アメリカの子供たちは、他国の子供でありません、彼らは我々の子供なのです。そして、我々は彼らに21世紀の経済社会で遅れをとらせてはなりません。今日ではなく明日のためなのです。
今回、我々は、健康保険から漏れている白人、黒人、ヒスパニックが治療を受けられる方法について話したいのです。彼らはワシントンにおいて自分達だけでこの問題を克服する力はなくても、我々が一緒になれば彼らは治療を受けられるのです。
今回、我々は、シャッターが下ろされた工場について話したいのです。かつてこの工場はあらゆる人種の男性と女性に適切な生命の糧を与えたのです。そして「売家」の看板がつけられた家は、あらゆる宗教、あらゆる地域、あらゆる分野のアメリカ人がかつて所有していたのです。
今回、我々は、本当の問題は「あなたに似ていない誰かがあなたの仕事を奪うかもしれない」ということではないという事実について話したいのです。問題は、あなたの会社が利益もなくただ同然で会社を海外へ移転するという(産業空洞化の)ことなのです。
今回、我々は、誇り高い旗の下で一緒に仕事をし、一緒に戦い、一緒に血を流したあらゆる色と信条の男性と女性について話したいのです。我々は、決して認めるべきではなかった戦争から兵士を家に連れ戻す方法について話したいのです。そして、我々は、彼らとその家族のケアをし、給付金によって我々の愛国心を示す方法について話したいのです。
私が心の底から「これが大多数のアメリカ人がこの国のために望むものなのだ」と思っていないのならば、私は大統領に立候補してはいないでしょう。この統合は決して完璧ではないかもしれませんが、世々代々それが続けば仕上がっていくでしょう。私自身がこの可能性について疑念を持ったときに、最も多くの望みを与えてくれるは次世代の若者です。この選挙において、変化へ向けての彼等の態度と信条と開放性は、歴史に刻まれることでしょう。
特に今日、皆さんに残したいひとつの物語があります。キング博士の誕生日に私は彼のアトランタにあるエベネゼル・バプティスト教会で話す大きな名誉をいただき、この物語を語りました。
アシュリー・バイアという23才の白人の若者がいます。サウスカロライナ州フローレンスで我々の選挙キャンペーンを組織しました。彼女はこのキャンペーンが始まって以来、大部分はアフリカ系アメリカ人のコミュニティを組織するために働いていました。そしてある日、彼女は誰もが自由に彼らの話や、キャンペーンに参加した理由を語る円卓集会でこう話しました。
アシュリーが9才のとき、母親がガンにかかってしまいました。母親は仕事を休みがちになり、やがて解雇され、健康保険資格を失いました。彼らは自己破産を申し込まなければならなくなり、そしてアシュリーはお母さんを助けるために何かしなければならないと決意したのです。
彼女は、食糧費が彼らの最も高い経費のうちのひとつであるということを知りました。そして、アシュリーはお母さんの大好物がマスタード風味サンドイッチということも知っていました。最も安上がりの方法でした。
お母さんが快方に向かうまで、彼女は1年間それでしのぎました。そして彼女は、親を助けたい、助ける必要があるという、この国の何百万もの子供たちを助けることが、彼女が我々のキャンペーンに加わった理由であったと円卓集会で語りました。
アシュリーは異なる選択をしたかもしれません。母親の困難の原因が「生活保護を受けてる怠惰な黒人、または不法入国したヒスパニックだ」などと誰かが言ったかもしれません。しかし、彼女は不正、不公正との彼女の戦いにおいて我々との連帯を求めたのです。
アシュリーは彼女の話を終えると部屋を見回し、キャンペーンを支持している他の参加者に尋ねます。彼ら全員にはそれぞれの異なる物語と理由があります。多くは特定の問題をあげます。そして最後に彼らはずっと静かに座っていた初老の黒人のところへ行きます。
そして、アシュリーは彼がなぜそこにいるかと彼に尋ねます。彼は特定の問題をあげませんし、健康保険のことも経済のことも言いません。彼は教育や戦争についても言いません。彼は「バラク・オバマのためいるんだ」とは言いません。彼は誰にでも「私はアシュリーのためにここにいるんだよ」と言うのです。
「アシュリーのためにここにいる」。その短い言葉自体では、若い白人の女の子と年を経た黒人の間の連帯を語るには十分でありません。それは病人に医療を、失業者に仕事を、我々の子供たちへ教育を与えるのには十分でありません。
しかし、そこが我々のスタートラインなのです。そこから我々の統合が強くなっていく出発点なのです。そして、愛国者の一団がフィラデルフィアでその独立宣言文書に署名した時から221年が経ち、その完成が今始まるところなのです。(おわり)
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1724 オバマ氏のある日の演説(下) 平井修一

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