1747 康範死して歴史に幕 渡部亮次郎

文中に登場する作詞家は2008年4月6日ニ88歳で逝去した川内康範氏、政治評論家は故戸川猪佐武氏である。田中、早坂両氏既に亡く、それより早く児玉が死んだ。たった1人残っていた川内氏死して「角栄もみ消し事件」の一つが歴史の闇に消えた。
世間では田中角栄が総辞職したのは立花隆の「田中角栄研究」と思われているが、違う。あの時の『文芸春秋』に同じく載った「淋しき越山会の女王」と言う記事だった。後に田中が私に言った。「とにかく真紀子に”あのこと”で連日ワーワー言われて、それで参ったのだよ」と。
角栄に神楽坂の芸者だった辻なる女性に男の子2人のいることは側近なら皆、知っていることだったそうだが、越山会なる角栄後援会の会計責任者、佐藤昭の娘・敦子が角栄との不倫の子であるとも喝破したのは、筆者・児玉隆也が初めてだった。
児玉があの原稿を発表いた後、私を訪ねてきて「政治家が自分に不利な記事を差止めるため800万円を差し出すことはありますか」と訊かれた。半端な数字だから「それは無いだろう、半端すぎる」と答えた。
児玉によれば光文社の週刊誌「女性自身」誌デスク在任中、田中の(まだ幹事長)女関係を記事にしようとしたら、著名な作詞家が800万円を差し出して「止めてくれ」といった。
断ったが、社内では「児玉は田中からカネを取って記事を差し止めた」との噂が流され、とうとう社を辞める破目になったのです、と言う話だった。
退社して何年もしないで児玉は文春に「淋しき・・・」を書き憂さを晴らした。ただし児玉はガンに冒され、それからいくばくも無く、40前に死んだ。
片方の立花は有名になったが児玉は死んで、マスコミに乗る機会が途絶えたまま忘れ去られてしまった。そのことを塩田潮は『田中角栄失脚』という本(文春新書)紹介している。戦後政治史の裏面が単行本で暴かれたのは初めてである。
私の身分にも異変があった。記者(NHK)として田中首相の哲学の無さをブラウン管で攻撃するものだから、角栄側近(竹下)から来た抗議の電話。
これに唯々諾々と従ったNHK首脳によって大阪に飛ばされた。飛ばす担当者(政治部長、故人)が告白したのだから間違いあるまい。昭和48(1973)年のことである。問題はその後だ。
こんなNHKにいたって将来はないとみた私は自民党代議士・園田直の招きで彼の外務大臣秘書官になった。福田内閣である。この内閣は三木憎しで固まる田中の支持の結果で出来た政権である。その関係で、かつては仲の良くなかった角栄やその側近とも付き合うようになった。
そのため「あの時、児玉対策にどれほど使ったのか」をマスコミ担当の早坂茂三秘書に質すチャンスが来た。そしたら「3000万円を作詞家らに渡したが記事は止まらず、カネも返って来なかった」との答えを得たと言うわけであった。
それにしても3000万円がなぜ800万円にしかならなかったのか。おそらく作詞家と相棒の政治評論家(元読売政治記者)が山分けで猫糞しちまった残りが800万円だったのだろう。
「田中角栄失脚」を読めば作詞家と政治評論家は誰であるか、すぐ推測がつく。こうしたカネを角栄氏はどうせ阿漕な悪事で稼いだんだからいいじゃないか、というのが一般的かもしれないが、あなたは、この話を聞かされて、何を思われますか。
以上を2006年11月26日のわがメイルマガジン「頂門の一針」641号に掲載したら、NHK政治部で同僚だった大谷英彦氏から興味深い話を教えてくれたので追加する。
<角栄のマスコミ買収」を読んで7~8年前の記憶が蘇りました。共産党の市会議員もネコババをやりかねないという話です。
川崎市の住宅街に必死の思いのローンでマンションに移って間もなく、裏の谷底みたいな空き地に学生寮が立つというニュースが入り、マンション住民は大騒ぎになった。
その空き地は「取り付け道路もないから、建物は建たない。将来は緑地にでもなる」と聞いて入居した人も多かったので、早速「建設反対住民集会」が開かれ、誰が呼んだのか、川崎市の共産党市議が「反対闘争」を指導することになった。
「タスキを作れ」「座り込みをやれ」という指導に、居住者の中の最高検の検事らと共に反旗をひるがえし、理事会メンバーも一新。
言い出した以上は解決策が必要。調査の結果、建築主は賄い付き社員寮で成功、今度は学生寮にも進出しようという神田の会社と分かった。
①会社は来年4月の新学期までに完成させないと儲けが減る。
②大手銀行から1人、役員が入っている。
この2点を突破口に当方の要求をのませようという作戦で、地元選出の小泉純一郎代議士が衆院大蔵委員長だったのに目をつけ「協定書の実行保証人」ということで案文を作った。
といっても、議員会館で飯島勲秘書に口頭了解をも求めただけだが・・
4月完成には1日でも惜しいだろうから、交渉中も工事をやらせた結果双方まずまずの解決になった。
日照を失う時間に応じて各戸が補償金を受取ったが、合計額は共産党市議が最初に持ち帰った返事の6倍になった。
相手の社長も満足だったのかホテルオークラに理事を招待してくれた。その席で「いくらなんでも補償金600万では無理ですよ」と発言したら社長は色をなした。「冗談じゃない。私は1千万は提示してましたよ」
あの市議ははじめから400万を抜く気だったのか。共産党でもやるんだ!
九州で公安調査庁の関係者と飲んだ席で、それを披露した。翌年の統一地方選挙で共産党の候補者は交代していた。「へー、公安と代々木(日本共産党)はパイプがあるんだ!」深く感じ入りました。>文中敬称略 2008・04・13  
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