大学時代の恩師が亡くなった。15日10時から東京・目黒の羅漢会館で告別式が行われるが、骨髄腫の身だから自宅でご冥福を祈るしかない。中国キリスト教史という特殊な専門分野なので新聞の訃報欄にも載っていない。ひっそりとした旅立ち・・・。
東京・成城にあるお宅にも何回かお邪魔した。中国キリスト教史には興味がなかったが、大航海時代にポルトガル、スペインの大型帆船が喜望峰を回って中国を目指した冒険航海の話は何度聞いても面白かった。
イギリスで紅茶が流行ったのは、ポルトガル・ブラガンサ王朝のジョアン四世の王女キャサリンが、イギリス王チャールズ二世の王妃になって、イギリス宮廷でお茶をファッショナブリーにたしなむ最初の女性となってからだという。
「キャサリンが一六六二年に渡英しなければ、イギリス人はコーヒー党になっていたかもしれない」と想像するのは楽しい。歴史の楽しみ方を恩師から教えられた。
卒業論文はドイツによる膠州湾(こうしゅうわん、Jiaozhou Bay)租借事件だったが、論文を書きあげる前にマスコミの試験に合格したので”やっつけ仕事”になってしまった。11月から東京新聞に出社、翌年4月から共同通信に転じたから、論文を書いている閑がない。
私にしてみれば、東京新聞と共同通信の両社から合格通知を貰ったのだから、どちらかを来年四月までに選ばねばならない。一生のことだから論文なんて書いている余裕がないということになるが、今にして思えば手前勝手。恩師の死を聞いてあらためて反省の念に駆られている。
論文を書くために神田の古書店めぐりをして、ドイツのグローセ・ポリテイーク(外交文書)など入手が困難な資料をかなり集めたので、やはり真面目に仕事をして卒業すれば良かったと思っている。後ろめたさがあるので、資料は全部保存してある。読み直すつもりでいる。
1897年111月のことだが、中国の山東省鉅野県(きょやけん、現在の菏沢市)でドイツ人宣教師二人が殺される事件が起こった。この「鉅野事件」( Juye incident )は、ドイツのヴィルヘルム2世皇帝に、「ドイツ人宣教師の保護」という侵略の口実を与えた。
清国政府がこの事件の詳細を知るより前に、上海にいたドイツ東洋艦隊司令官フォン・ディーデリヒス(von Diederichs) は11月7日に膠州湾占領作戦開始の出動命令を受けている。
第一次世界大戦が始まると日本はドイツに対し宣戦布告。ドイツの膠州湾租借地を占領した。開戦の理由は「膠州湾を中国に返還するよう最後通牒を発した」ことにあるが、その後、中国政府に対華21ヶ条要求を行い、山東省の権益は日本が引き継ぎ、青島は日本軍が統治している。
宣教師二人の殺害事件についての資料はいくつか持っているのだが、日本が火事場泥棒のように山東省の権益を手中にした裏資料が乏しいきらいがある。
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1750 ドイツ海軍の膠州湾占領事件 古沢襄

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