1757 霞ヶ関をいかにせん 平井修一

小生は若い頃に、徒(いたずら)な正義感やら強烈な自我、繊細な感受性で人生を遠回りし、10年間をミスった。きちんと歴史を学んでおけば、しなくてもいい苦労を免れたものをと、死んだ子の歳を数えるように未だに当時を苦く、酸っぱく、思い出す。
4月14日の夕方、部下から緊急電話。
「所長、財務省からお咎めが! 先日リフォームした機械の仕様が設計と違う、すぐに改めろ、それができないのなら免許剥奪だと、すごい剣幕です」
そうか、ピカピカの新人を迎える春なのだ。財務省も新人研修で、新人を引き回しながら業者の仕事現場を見て回り、どうでもいい重箱の隅をつついてきたのだろう。まあ、是正はするけれど、我が社は誰にも迷惑はかけていない。
それにしても、よくも難癖をつけるなあ。まあ、立場があるのだろうけれど。「お役人様の自己保身だな、こりゃあ」。
で、数日中にはお役人様の「おっしゃる通り」、民間は「非を改める」、それを役人の新人は見て、「なるほど、行政はこういうものか、叩けば民間は我が意のものだ」と納得し、我々越後屋はお代官様を篭絡する手立てを再びみたびブラッシュアップするということになる。
「おっしゃる通り」というのは霞ヶ関の官庁ビルの中にある、中央エレベーターから東西南北に伸びている背骨・肋骨のような通路のことで、その東西、南北の部屋はすべて高級官僚が支配している。
民間業者、民間団体はそれを「おっしゃる通り」と言うのだ。秀才が差配しているからと昔は安心していられたが、制度疲労でモラルも能力も怪しくなってしまった。信用失墜という事態に直面している。
高級官僚は昔は尊敬されていたが、今では同窓会で、「お前ら、何、バカやってんだよ、お前らのおかげで民間がどれだけふりまわせれているのか分かっているか」などとやりこめられており、もう、昔日の栄光はない。
同窓会の出世頭の東大教授が、「研究費の確保のために霞ヶ関に日参する毎日で、自分を見失いがちで辛い」と言っていたが、霞ヶ関はやはり制度疲労が顕在化してきたのだろう。ご一新から140年。官僚国家の骨格が小生の足腰が揺らぐがごとく退行してきたのだ。
秀才は、それを認めたくはなかろうが、もう真実と受け止めるしかないレベルまで日本溶解の危険水域は上がっている。秀才の中の愛国者が救国・究極の青写真を示して為政者が果敢に「回天」を図るべき時期ではないかと小生は望むが、テレビで福田総理、小沢民主党代表、白川日銀総裁の顔を見ながら、それは多分「望み薄だろう」と、テレビを消してふとんにもぐり込むばかりだ。
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