苺を話題にするなんて、何を今更と言われそうだが、戦争中は苺は栽培もされておらず、戦後も相当経ってから食べられるようになった、貴重な果物だった。
私は食後、必ず果物を食べる習慣があり、春は苺とデコポンが安いので助かる。戦争中、なぜ栽培されなかったかって?イモや豆を植えるのに忙しかったのだ。
戦後、ビニールが農業に提供されて『温床』が「ハウス」になって野菜や果物が通年栽培されるようになった。温床の時代に太陽光の採取と保温に使われたのは「油紙」だったが高価すぎた。
程なくビニールが安価で普及し、苺もまた何処でもいつでも都会に出荷されるようになった。余談だがビニールは水稲耕作にも役立ち、稲の苗が肌寒い早春にハウスで育てることが可能になったので、東北の寒冷地では作柄が大いに向上した。
ところで苺である。
栽培されたのは比較的新しく,14世紀に入ってフランスやベルギーで始まった。その後北アメリカ原産の野生イチゴ F. virginiana Duch. と南アメリカのチリの野生イチゴ F. chiloensis (L.) Duch. との交雑種から出たアナナスサと呼ばれるものが18世紀中ごろオランダで作出され,これが現在の栽培イチゴの素材になった。
1819年にはイギリスで最初の大果品種が作られ,イギリス,フランスを中心にヨーロッパ各地に広まった。アメリカでも18世紀末ごろからヨーロッパで育成された品種の栽培が始まり,現在ヨーロッパと並んで大産地を形成している。
日本へは江戸時代末期,オランダ人により伝えられたが普及するに至らなかった。明治になって数多くの品種がアメリカ,フランス,イギリスから導入され,各地に土着して広まった。
品種〈福羽〉は1899年ごろ,福羽逸人がフランスから導入したゼネラルシャンジーの実生から選抜育種したもので,1970年ごろまで促成栽培の主要品種であった。
現在の主要品種は宝交早生,はるのか,ダナー,芳玉,麗紅などである。
作付様式として一度植えたら数年栽培する方式と毎年株をかえて栽培する1年方式がある。数年方式は寒冷地の加工用栽培に取り入れられ,一般には1年方式が多い。
育苗はランナーにつく子苗を切り離して移植する。出荷時期はプラスチックフィルムの利用,新品種の育成,技術開発によって盛夏の一時期を除き,ほぼ周年出荷している。
おもな病気と害虫は萎黄病,灰色かび病,うどんこ病,ハダニ,メセンチュウなどである。
日本での主産地は栃木県,福岡県など。石垣栽培は明治の末期ごろ,静岡県久能山の南西傾斜を利用し,玉石を使って始めたのがおこりで,その後栽培面積の増加によって作業に便利なコンクリート板が用いられた。
この方法は冬季低温時に太陽熱を十分取り入れた栽培で,寒い間は障子やむしろをかけて保温した。その後神奈川県,愛知県でも石垣栽培が行われたが,ビニルハウスの普及,労力不足から姿を消し,現在久能地方にわずかに残っている。
イチゴは果実の中で最もビタミン Cの含有量が多く,生イチゴ100g中に50~100mg含む。糖分はおもにブドウ糖,果糖で4~7%含み,有機酸はクエン酸,リンゴ酸がおもなもので1~4%含まれる。
果実の色素はアントシアン系のカリステフィンか品種によってはフラガリンである。生果としてはミルクや砂糖を加えて生食する。ショートケーキの材料や,加工品としてジャム,ジュース,シロップ漬に利用する。
イチゴはキリスト教では〈正義〉をあらわす象徴として使われる。ヨーロッパには昔から,違った植物をいっしょに植えると互いに相手に影響を与えあうという考え方があった。
その場合互いに相手にプラスになる場合もあるが,他を苦しめることの方が多い。
ところでイチゴはイラクサのようないやな植物の下で育てられてもおいしい実をならせることから,周囲の悪や不正に毒されずに自己を全うする正義の士にたとえられたのである。
イチゴはまた聖母マリアを象徴するが,これはゲルマンの母神フリッグが死んだ子どもたちにイチゴを食べさせて天国へ送ったという神話からきたものである。この神話は赤い食べ物は死者のためのものだという古い信仰からきたといえよう。出典:平凡社『世界大百科事典』
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