1778 阿Qのごとくに革命外交 平井修一

学ばざれば昏(くら)し、と言う。思うに宗教とか哲学は、人の道を説いたもので、社会生活を営む上でのルール・教え・人倫を説いており、これを学ぶべし、と親は子を、社会は市民を導いてきた。ルールがないと秩序ある社会は成り立たないからだ。
その教科書は、儒教、仏教、ストア派哲学、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教などいろいろだが、多分教えの柱は「殺すな、盗むな、姦淫するな、慈悲・克己・禁欲に心せよ」で、支那なら聖人君子を目指せというものではないか。日本なら武士道、西洋なら騎士道に励めということだろう。
カール・ヒルティ著「幸福論」は、結構なページを割いてギリシャ・ローマ時代に大いに世を風靡したストア派哲学を紹介している。ストイック(禁欲主義)はストア派から派生した言葉で、それだけを見てもこの哲学のおおよその内容が類推できるだろう。
ストア派の元祖は紀元1世紀のローマ帝国時代の奴隷、エピクトテスだそうで、小生にとってこれは初めて知った。
ストア哲学の有名な実践者にはローマ皇帝のマルクス・アウレリウスがおり、この皇帝は今に「自省録」を遺しているので、その言動をもとに我々はストア哲学のおおよそを知るのだが、エピクトテスの文章は断片的にしか残されていないものの、ストア派の思考の骨格を十二分に伝えており、他の教えが「陽」なら、この思想が「陰」であることにつくずく思い至る。
小生の、どちらかと言うと「陰」の考え方は、このストア派が大いに影響しており、もともとそれを受け入れる下地があったのだと思う。
エピクトテスの言葉には、こんな簡潔な処世訓がある。
(1)模範とするに足る人物を心に描き、私的生活、公的生活でこれに倣って生活するよう心がけなさい。
(2)多くの場合に沈黙を守れ。あるいはただ必要なことのみを話せ。それもなるべく言葉少なくしなさい。
(3)特に必要な場合のほかは、なるべく談話に加わらないほうがよい。その話題も、時事問題など普通に話題になるものを避け、ことに他人を俎上にしての論評は一切避けなさい。
こんな感じだが、(9)性交はできる限り抑制しなさい。なんていうのもある。いちいち姑のごとくうるさい。劇場へ行くな、講演会へ行くな、自分の経験をくどくど言うな、人を笑わせるな、下品な話題はするな、などとも言う。
この通りにしたら、苦虫を噛んだような、くそ面白くもない人生で、それを実践したマルクス・アウレリウスの「自省録」を読んでも、皇帝の地位を楽しんでいる姿は皆無で、胃が痛くなるような日々が伝わってくる。
小生は根が真面目なのかいい加減かなのか、よく分からないが、その間をヤジロベイのごとく揺れながらも今は「晴れ、ところにより憂国」的で、四捨五入すれば結構日々を楽しんでいるから、ストア派哲学も多くの教えのひとつになったのだろう。
人はいろいろな教えに触れることができる。多彩なバイキング料理から自分の皿にとって賞味できる。いろいろ食べてみることで、「これは結構旨い」とか「ちょっと香辛料がきつすぎる」とか判断し、やがて自分らしいものの考え方、価値観ができてくる。
共産主義はひとつの思想だが、根源的な欠陥は「権力者がこうと決めた教義以外は流布することも絶対許さない」という、非寛容性、硬直性、狭隘性、傲慢性で、中国には官製の「北京風ギョーザ」しか用意されていないことだ。
ラマ教も法輪功も弾圧されるし、少しでも異論を唱えたり、疑問を呈したりすることさえ許さない。
結局、中共の民は党の掌で日本を叩いたりフランスを叩いたり。阿Qのごとくに革命外交(=暴力外交、今は民間外交というらしい)を繰り返している。どうやら中共は「死に至る病」に取り付かれているようだ。
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