4月29日は北海道夕張炭坑で爆発事故276名が死亡、という記録がある。明治45年4月29日のことだった。
これに鑑み、わが国の炭坑爆発事故を調べてみると以下のような資料が出てきたが、なんとも悲惨な数字である。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/6992/rekisi.htm
1899/06/15,明治32/06/15 福岡の豊国炭坑でガス爆発が起る。死者200人余りを出す。
1903/01/17,明治36/01/17 福岡県の潤野炭鉱で爆発事故があり、64人が死亡する。
1906/03/28,明治39/03/28 高島炭坑貝瀬坑でガス爆発が起こり坑夫ら300人が死亡する。
1903/01/17,明治36/01/17 福岡県の潤野炭鉱で爆発事故があり、64人が死亡する。
1899/06/15,明治32/06/15 福岡の豊国炭坑でガス爆発が起る。死者200人余りを出す。
1907/07/20,明治40/07/20 福岡県の豊国炭鉱で大爆発事故が発生し、365人が死亡。
1907/10/04,明治40/10/04 新夕張炭坑でガス爆発があり、91人が死亡。
1909/07/04,明治42/07/04 新夕張炭鉱でガス爆発事故があり、坑夫5人が死亡。
1909/11/24,明治42/11/24 福岡県大之浦炭坑でガス爆発事故が起こり、255人が死亡する。
1912/04/29,明治45/04/29 北海道夕張炭坑で爆発事故。276名が死亡する。
1912/12/23,大正1/12/23 北海道の夕張炭坑で爆発事故が起こり、216人が死亡する。
1913/02/06,大正2/02/06 福岡県二瀬炭坑でガス爆発事故があり、103人が死亡する。
1914/11/28,大正3/11/28 新夕張炭坑でガス爆発が起こり、422人が死亡する。
1914/12/15,大正3/12/15 福岡県の方城炭坑でガス爆発が起こり、687人が死亡する。
1915/01/09,大正4/01/09 北海道奥尻島の硫黄鉱山で爆発事故があり、多数が死傷する。
1917/01/11,大正6/01/11 満鉄経営の撫順炭坑で爆発事故があり、坑口密閉消火を行ったため坑夫917人が死亡する。日本人死亡者は16人。
1917/12/21,大正6/12/21 福岡県の桐野炭坑でガス爆発が起こり、361人が死亡する。
1920/06/14,大正9/06/14 夕張炭坑で爆発事故があり、209人が死亡する。
1924/08/09,大正13/08/09 福島県入山炭坑でガス爆発が起こり、75人が死亡する。
1925/09/03,大正14/09/03 平壤の貞桐炭坑で爆発事故があり、150人が死亡する。
1927/11/12,昭和2/11/12 三菱美唄炭坑でガス爆発が起こり、68人が死亡する。
1933/06/03,昭和8/06/03 長崎県崎戸炭鉱でガス爆発が起こり、60人余りが死亡する。
1933/09/26,昭和8/09/26 福岡県猪鼻炭鉱でガス爆発があり、15人が死亡する。
1934/11/10,昭和9/11/10 北海道の弥生炭坑でガス爆発があり、42人が死亡する。
1935/03/26,昭和10/03/26 長崎県端島炭鉱でガス爆発が起こり、30人余りが死傷する。
1935/10/26,昭和10/10/26 福岡県赤池炭鉱でガス爆発が起こり、83人が死亡する。
1938/10/06,昭和13/10/06 夕張炭坑ガス爆発が起る。死者152人。
1940/02/14,昭和15/02/14 北海道歌志内炭鉱でガス爆発で24人が死亡する。遺体収容中の24人が生き埋めになる。
1941/03/18,昭和16/03/18 美幌炭坑でガス爆発があり、170人が死亡する。
1948/06/18,昭和23/06/18 福岡県勝田炭坑でガス爆発事故があり、60人が死亡する。
1955/11/01,昭和30/11/01 北海道の雄別炭鉱茂尻鉱業所でガス爆発が起こり、60人が死亡。
1959/12/21,昭和34/12/21 福岡市の三菱工業所でガス爆発があり、23人が死亡する。
1960/10/30,昭和35/10/30 北海道白糠町の鉱山でガス爆発があり、17人が死亡する。
1965/02/22,昭和40/02/22 北炭夕張坑でガス爆発が起る。61人が死亡する。
1968/01/20,昭和43/01/20 北海道の美唄炭鉱でガス爆発事故があり、16人が死亡する。
1969/04/02,昭和44/04/02 北海道赤平市の雄別茂尻炭砿でガス爆発があり、19人が死亡する。
1969/05/16,昭和44/05/16 北海道の住友歌志内炭砿でガス爆発があり、17人が死亡する。
1977/05/11,昭和52/05/11 北海道三井石炭鉱業芦別鉱業所でガス爆発事故があり、25人が死亡する。
手持ちのMicrosoft(R) Encarta(R) 2006によると、日本における炭鉱の近代化は、1868年(明治元)にはじめて機械を導入した九州・佐賀藩(鍋島藩)の高島炭鉱(長崎市高島町)の開坑により始まった。
佐賀藩は高島炭鉱を藩営にしてその権益を独占し、その後イギリス人トマス・グラバーとの共同経営によって69年からは本格的な出炭を開始した。
また明治初期には、北海道開拓使庁( 開拓使)のベンジャミン・ライマンによる地質調査にもとづき岩内と幌内に炭鉱を開発し、その後も夕張、空知などの開発をすすめた。
19世紀中ごろまでには北海道や常磐、また九州では長崎に近い高島、唐津、三池( 三池炭田)の炭鉱開発がすすんだ。
しかし日本政府は、1992年度から2002年度末までの10年間で、それまでの石炭振興策を終了させた。
その中で、最後まで採炭をつづけていた松島炭鉱池島鉱業所(長崎県外海町。現、長崎市)が2001年11月に、太平洋炭砿(北海道釧路市)は02年1月と、相次いで閉山し、国内における大規模な炭鉱は姿を消した。
1920年(大正9)に創立した太平洋炭砿は、99年度(平成11)までの10年間は210万tの生産を維持し、さらに60年分の石炭埋蔵量があるとみられていたが、採算がとれないための閉山であった。
日本の石炭産業が急速に衰退していった要因としては、世界的な石油へのエネルギー転換を背景に、主要エネルギー源としての地位を失っていったことが挙げられる。
そのほか、日本で産出する石炭が瀝青炭以下の低発熱量のものが多く、直接燃料にする以外の用途が限られていたこと、炭層の多くが1000~2000mの深い地下にあり、採炭のコストが大きいことも重要な要因である。
日本の地質構造が複雑であることから、坑道を掘削していく途中で断層にぶつかったり、場所によっては、地熱による高温といった悪条件に出合うこともある。
採炭作業には絶えず落盤、異常出水、山はねといった災害への対策が必要になるため、深さや炭質からは採算がとれると予想できる炭坑でも、ほかの設備コストや事故発生時の保障などで費用がかかり、価格面で石油や海外産の石炭に対抗できなかった。
その一方で、日本では石炭の需要は増加をつづけており、2000年度の国内総石炭需要量が1億5000万tに対して国内炭生産量は約300万tしかなかった。そのため日本は、大半を輸入に頼る世界一の石炭輸入国である。
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