1808 眠る日本、狙う中国(3) 平井修一

2008年2月27日の米中経済安保調査委員会での「国家主権とアクセス制御についての中国の見方」をテーマとした米国海軍軍事大学のピーターA.ダットン准教授(中国海事研究所)の分析を引き続き翻訳する。
主権強化について。
日本と中国の東シナ海境界線論争は、海洋における中国の主権強化の努力の見本を示しています。東シナ海の中国と日本の海の境界線紛争の焦点は、日本と中国の主張が重なる7万平方海里の水域です。
それは中国本土から東へ、琉球諸島の西の沖縄まで伸びており、日本は日中の海岸線から等距離の中間線を境界線とすると主張しています。
しかし、中国は「大陸棚」を主張しています。中国の学者と政府当局の声明において一貫して繰り返しているのは、「氷河時代に黄河と揚子江と他の川が中国本土から沈泥をもたらし大陸棚を作った。だから東シナ海の大陸棚は中国の領域の自然な延長だと主張します。
この主張は中国人を強気にさせており、大陸棚を巡る(日本の)要求を「侵略」と見ているようです。
したがって、境界決定についての中国のポジションは、中国本土海岸から東シナ海までの大陸棚、琉球諸島の西の沖縄までが中国の領域であるべきだというもので、したがってその海域で境界が決定されなければならないと主張しています。
東シナ海の境界線の決定をかなり複雑にしている要因は、尖閣諸島(中国では釣魚島)の主権と台湾の独特の状態に関する議論です。尖閣/釣魚島諸島は、一群の5つの小さな無人の岩が多い小島(最大の島でも面積は3.6平方キロメートル)です。歴史的に、それらは中国人に知られていて、明朝(1368~1644)という早い時期に公文書に名前があがりました。
しかし、中国がその領域に合法的な主権を主張するためには、国際法で必要な要素、すなわち有効な管理と支配が行われたという証拠がありません。尖閣/釣魚島諸島は、1894年に発見したとする日本の主張に基づき1895年以降、日本によって管理、支配されました。
中国の見方は、彼らが1895年の日清戦争の結果として中国から奪われ、第二次世界大戦の後には中国に返されなければならなかった島、ということです。
これらの島周辺での中国と日本の間の軍事状勢は近年激しく、2004年11月に中国の漢級原子力潜水艦が侵入し、日本は攻撃的な追尾をしました。
東シナ海問題に関して小泉政権の終わりから、中国と日本の間に言葉上の若干の和解がありました。会談ではかなり集中的な議論が交わされました。しかし、これらの会談は、過去の会談のように前進には達しませんでした。日本の新聞社は今年、共同で係争地帯のガス田のいくつかを開発する合意に達するという交渉を報道しました。
しかし、実際の合意には至りませんでした。日本が、係争問題に関して前進がなければ独自にガス田試掘を始めるかもしれないと伝えると、中国の反応は「その場合、戦争が起きるだろう、我々は軍艦を送る」というものでした。
中国が実際に武力行使するかどうかは分かりませんが、そのような声明が外交交渉の間になされたという事実は、2004年11月に尖閣/釣魚島諸島を囲んでいる海に中国潜水艦の公然かつ挑発的な侵入に加えて、中国の主権強化戦略への強い姿勢を示しています。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(5月2日現在1814本)

コメント

タイトルとURLをコピーしました