我が国の明治以降の「従軍記者」の歴史を調べている。なぜ「従」軍記者なのか。
記者なら激動の歴史の瞬間を自分の目で、体で体験して読者に伝えたい、後世に記事を残したい、できれば歴史に名を残したいと思うのが本能で、戦争は生死をかけた極限状況で戦われるから、記者にとってもそれは波乱万丈の「歴史の瞬間」で、恰好の取材対象になる。
ロバート・キャパ(享年40)は「崩れ落ちる兵士」の写真で永遠に名を刻んだ。戦争取材に武者震いするのが記者魂なのだ。
<ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913年10月22日 – 1954年5月25日)は、20世紀の代表的な報道カメラマン。本名はエンドレ・エルネー・フリードマン (Endre Ern? Friedmann)。
ユダヤ系。ピカソら多方面の芸術家たちとの幅広い交際も有名。スペイン内戦、日中戦争、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線、第1次中東戦争、および第1次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した。
東京で「ライフ」誌から第1次インドシナ戦争の取材依頼を受け南ベトナムに渡る。1954年5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビンにあるドアイタンという陣地に向かう。
午後2時30分ころドアイタンに到着。午後2時55分にドアイタンから1キロの地点にある小川の堤防で地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。その際カメラを手にしたまま死んでいたという。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「政局」は戦争に準ずるから政治記者はその現場を体験したことを生涯忘れない。政局とは多分血を流さない戦争であり、強烈な印象として記者には記憶に深く刻まれる。「歴史の証人」なのだ。
ところで従軍記者についていざ調べようとしたら、小生の新聞に関する資料は段ボール箱に(カミサンには内緒の写真=あの世へ行く前に要処分物件とともに)入れて納戸に突っ込んでから5年も経ち、その上や左右に段ボール箱が積み上げられたので、もうほとんど小生の体力では発掘できないことになってしまっていた。無惨だが、市井の現実にはそんなことが多いのだろう。
そこで記憶を頼りにするしかないのだが、日本で新聞が急速に普及したのは西南戦争=明治10(1878)年を契機としている。維新の立役者、当時の最大の英雄、西郷先生(セゴドン)が反政府の狼煙を上げた(事実は看板に担ぎ上げられた)のだから、国民はこの戦の成り行きに注目した。当時は速報性のあるマスコミは新聞しかない。
産声を上げたばかりの新聞はチャンス到来と多くの記者を政府軍に派遣しただろう(西郷軍の兵士の証言には西郷軍への記者の同行は記されていない)。これが従軍記者の嚆矢(こうし=はじまり)のはずだが、小生にはそれ以上のことは不明だ。
ここまで書いたら、小生の愛読するメルマガ「頂門の一針」主宰者・渡部亮次郎氏から以下の資料が送られてきた。
<平井様 ご参考までに平凡社「世界大百科事典」より以下。
従軍記者 じゅうぐんきしゃ war correspondent:
戦地に行き,そこから戦況を報道する記者。日本では1874年の台湾出兵にあたり《東京日日新聞》の岸田吟香が従軍したのが最初であるが,軍は〈戦闘は其の謀,密なるを貴ぶ〉として記者としての従軍を許さなかったので,岸田は軍御用の大倉組(現大成建設)手代として従軍した。その戦記は読者に喜ばれ,錦絵にもなった。
1877年の西南戦争には《東京日日新聞》の福地源一郎,《郵便報知新聞》の犬養毅ら4人の記者が従軍したが,このときも記者としての従軍は認められず,福地は参軍本営記室つまり軍の記録係としての従軍であった。
軍が正式に従軍記者を認めたのは94‐95年の日清戦争からである。(新井直之 世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービス)>
なるほど。この日清戦争=明治27(1894)年になると俄然、資料が豊富になる。作家の岡本綺堂が詳細に証言を残しているからだ。
綺堂は日露戦争=明治37(1904)年当時、上記にも紹介されている「東京日日新聞」(現・毎日新聞)の記者で、この戦争に従軍しているが、その10年前の日清戦争が対外戦争における公式の「従軍記者」事始だと、こう証言している。
<「昔の従軍記者」について・・・お話の手順として、まず日清戦争当時のことから申し上げましょう。日清戦争当時は初めての対外戦争であり、従軍記者というものの待遇や取締りについても一定に規律はありませんでした。
・・・各社から思い思いに通信員を送り出したというに過ぎないので、直接には軍隊とは何の関係もありませんでした>
やがて戦局が激してくると、
<朝鮮にある各新聞記者は我が軍隊に付属して、初めて従軍記者ということになりました。・・・陸軍省の許可を得て>続々と記者がやってくるのである。(つづく)
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