1845 平成の大八車は八十万台 古沢襄

大正十二年の関東大震災の時に東京市の人口は二百五十万。今は一千百万都民ということだろうか。最近になってさらに増加傾向がみえる。興味があるのは関東大震災の時に東京市の大八車が約十三万台もあったことである。
大八車といっても今の人は誰も知るまい。昭和になってもまだ大八車は日本全国で使われていた。引っ越し荷物をリヤカーで運ぶのは、だいぶ後のこと。多くは大八車に家財道具を載せて、一家総出で引っ越しをしたものである。
母の実家は信州上田の商家であった。夏休みは上田で過ごしたが、上田駅で貨車から積み下ろした瀬戸物の俵を大八車に載せて店先まで運んでくる。二十人近い店の者が大八車から下ろした俵を担いで、裏にある四つの土蔵に威勢のいい掛け声で運び込んできた。
私は女衆に混じって俵から瀬戸物を出すアルバイト。早く大人になって大八車から荷を運ぶようになりたいと思ったものである。俵を担ぐ練習もした。
関東大震災の時に地震で驚いた東京市民の中には、大八車にありったけの家財道具を載せて逃げる者がでた。約十三万台がフル稼働したといわれる。火災がおこり、火の海となった街で、道路を塞いだ大八車が逃げる市民の邪魔になっただけでなく、家財道具に火が移って悲劇を生んでいる。
東京に直下型の大地震がきたら、その時に家庭にいる都民は六百万、職場には百五十万そして移動中は三百五十万という推定数字がある。移動中の多くは大量輸送の電車や地下鉄なのであろうが、この時に走行中の自動車は約八十万台。うち十万台が高速道路を走っているとみられる。
走行中の車のガソリン保持量を調べたデータもある。平均のガソリン保持量は約80%。直下型の大地震がきて火災が発生すれば、家庭にいる都民も車で脱出を図る。だが、道路に出てみれば、平成の大八車で道は渋滞、身動きも出来ない。車に火が移れば、幹線道路は火の海になる。
日頃は便利なマイカーは、東京に直下型の大地震がきたら厄介もの、むしろ凶器になる。歩いて逃げるか、自転車をこいで逃げる方が安全となる。だが、ふだんはこんな事態を誰も考えない。災害が発生してから慌てて行動するから、走る凶器に乗って悲劇に遭遇してしまう。
イッソプ物語ではないが、アリを笑ったキリギリスにはなりたくない。夏がくる。キリギリスは澄んだ美しい音色を響かせて、楽しい夏の夜を謳歌するのだろう。その日一日の食が満たせて、その夜が楽しく過ごせれば、あとのことは考えたくない。四川大地震は遠い異国の話だと思っている。
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