中国四川省の大地震はかなり強烈だった様です。それでは、昔我国を襲った関東大震災ではどうだったのでしょうか。
■関東大震災(WIKIより)
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生した海溝型の大地震(関東地震)による災害。東京都・神奈川県・千葉県・静岡県の南関東地方の広い範囲に甚大な被害をもたらした。
死者・行方不明者 : 14万2800人
負傷者 : 10万3733人
避難人数 : 190万人以上
住家全壊 : 12万8266戸
1)火災の発生と台風
地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。
加えて能登半島付近に位置していた台風により、関東地方全域で風が吹いていたことが当時の天気図で確認できる。鎮火したのは2日後の9月3日午前10時頃とされている。
なお、地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台では、1日21時頃から異常な高温となり、翌2日未明には最高気温46.4度を観測している。 この頃、気象台には大規模な火災が次第に迫り、ついに気象台の本館にも引火して焼失していた。気象記録としては抹消されているものの、火災の激しさを示すエピソードである。
2)津波等の発生
津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。
特に神奈川県根府川駅ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出したといわれ、更に根府川村も山崩れにより壊滅したという。
3)皇族の被害
・小田原ー閑院宮御別邸が倒壊し寛子女王(17歳)が下敷きとなって死去。
・藤沢ー東久邇宮家の師正王(6歳)が避暑先の別荘の倒壊で死去。
・鎌倉ー山階宮武彦王妃の佐紀子女王(20歳)が別邸の倒壊により死去。
4)内閣総理大臣の不在と情報の途絶
折りしも加藤友三郎内閣総理大臣が8月24日(震災発生8日前)に急逝、「首相不在」という異常事態。
通信・交通手段の途絶も加わって関東以外の地域では伝聞情報や新聞記者・ジャーナリストの現地取材による情報収集に頼らざるを得なくなる。(ラジオ放送の実用化はこの直後、大正末期のこと)
新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」・「津波、赤城山麓にまで達する」・「政府首脳の全滅」・「伊豆諸島の大噴火による消滅」などと言った噂やデマが取り上げられた。 その中には「朝鮮人が暴徒化」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というものもあった。
5)戒厳令
時の警視総監・赤池濃は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して」内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。
これを受けて内務省警保局(局長後藤文夫)が各地方長官に向けて警報を打電した。
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」。また「行政戒厳」の形で戒厳令を発令した。(引用 終)
■平時とは違う
学校の教科書では数行で片付けられる関東大震災も、幾つもの不運が重なって大惨事になりました。特に首都を直撃した為、政府の機能停止が現実のものだったようです。治安維持と民心の安定の為、政府は海軍の大艦隊を東京湾に集中させました。焼け野原となった東京近辺では、連合艦隊の集積を見て安心したものでしょう。
因みに1986年(昭和61年)に伊豆大島の三原山が大噴火した際には、中曽根総理大臣の特命により後藤田官房長官の指揮の下、佐々淳行内閣安全保障室長らが超法規的活躍をみせました。主管官庁の国土庁が「小田原評定」を終えた23時45分までに、避難艦艇の手配を完了していたそうです。
先年、自衛艦の体験航海に参加した時、艦隊指令に当時のことを尋ねてみました。大島周辺海域には自衛艦ばかりでなく、要請を受けた民間の船も集結しました。更には南極に向かっていた観測船「しらせ」も呼び戻し、最悪の場合に備えていたそうです。阪神大震災の村山ボケとは対照的です。やはり国は指導者の如何ですね。
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