松村博士によると、開戦後間もなくロイター通信社やAP通信社から「通信船および無線装置ならびに伝書鳩の使用許可」について申請がなされた。ロシアも傍受しているから日本軍の動向を無線で速報されたらたまったものではない。そこで「従軍外国通信員海上通信規定」に従わせることとした。
それにはこんな条項もある。
・通信には必ず秘密暗号を用い、決して平文を用ゆべからざること、而して其の暗号書は予(あらかじ)め大本営へ提出すべきこと
・帝国艦船に於て現に無線電信の電信を為しつつあるときは、決して通信を試みざること
・帝国艦船より「送信を中止せよ」なる合図(――・・――)あるときは、送信中たりとも直に之を中止すべきこと
このようにして日本軍は厳しく従軍報道を取り締まった。記者や新聞社にとって残念なことは多かったろうが、国家としては当然の措置だったという評価が戦後、国際社会で高まった。
米国はボーア戦争、米西戦争で従軍報道を規制せずに軍機が漏洩されて大きな損害を蒙った経験があるため、「日露戦争の終結後に米国政府が軍事当局者を日本へ派遣して、同戦争の開始後に日本陸海軍当局がまもなく作成して実行した外国新聞記者の従軍規則やその実施状況について調査させ将来への参考にした」と当時の金子堅太郎・駐米大使は書き残している。
松村博士が語る。
<現在もなお終結を見ていないイラク戦争の従軍記者の行動を規制する取締り規則の原型であったことを思うと、日露戦争100年に当たって、同戦争で日本軍当局が果した対外貢献の一部を改めて見直したくなる位である。
ましてや、彼ら米国の陸海軍軍人たちが、「今回、日本政府は、内外の新聞紙の勢力偉大なるを熟知したるにも係らず、毅然たる態度を以て当初より厳密なる規則を設け、記者の戦地出発を制限し又彼等をして漫りに戦線区域に進入せしめず、只戦争結了後始めて其の戦場を踏査観覧せしめたることは、明に戦時に於ける規程に向て一大進歩を促し且つ欧米諸国の政府に適切なる模範を示したるものなりと」(金子大使)したとするにおいておや。
まさに、日露戦争の開戦後まもなく日本政府が鋭意設定した外国新聞従軍記者規則が、図らずもその後の戦時の関係規程の制定に向けて欧米諸国の適切なモデルとなったというのも、誇ってよいことの一つにしてよいであろう。>
最後に小生・平井の感想を記す。
精悍だが小さな柴犬が巨大で獰猛な敵に挑んだ死闘。清国、露国、蒋介石軍、米国との日本の戦争を振り返ると小生はいつもその思いを新たにする。「勝ち負けは兵家の常」だが、大東亜戦争で負けた日本は「負けっぷりがよすぎて」米国により唯々諾々と「百年間戦争をできない国」(マッカーサー)にさせられてしまった。
明治の同時代の英国人思想家、ジョン・ラスキンは1865年、王立軍事アカデミーでこう語っている。
<戦争はあらゆる技術の基礎である。同時に人間のあらゆる徳と能力の基礎でもある。この発見は私にとり奇異であり、すこぶる怖ろしいものであったが、否定し難い事実なのだ。偉大な国民は、戦争の中で言葉の真理、思想の力を学ぶ。戦争によって涵養し、戦争によって教えられ、戦争によって訓練された叡智を、平和によって浪費し、平和によって欺かれ、平和によって裏切られる。要するに戦争で得たものを、平和の中で失うのである>(The Crown of Wild Olive: Three Lectures on Work, Traffic and War 1866)
日本は「戦争を奪われた」ことにより、偉大なる国民としてあらゆる叡智を高める術を失ったのである。偽装の平和の中で日本人は劣化し、弱体化し、愚昧化し、溶解し、解体していく。
休日の電車内。正面の座席の女性二人が化粧をし、小生の隣の女性も化粧に余念がない。この女性がやがては親になる。間もなく日本壊滅・民族浄化計画は完了するに違いない。嗚呼・・・(終わり)
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