過日、長沙空港から広州へ飛んだ。飛行場の書店を冷やかすと、例によって中国人に人気の頂点はビルゲーツ自伝、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスの御三家。
ともかく、凄まじい人気である。ついで香港最大財閥・李嘉誠の評伝、伝記のたぐいが幾種類も並んでいる。要するに金持ちへの単純な憧れと自分の夢を重ねているのだが、金持ちになることが中国人の素朴な夢であるとすれば、拝金主義も行く着くところまでいって、やがて陥没するだろう。
ふと別のコーナーへ目を移した。「ん?」
ベストセラーの書棚に山岡荘八の大河小説『徳川家康』が並んでいるではないか。書店から出ると、たまたま幹部社員らしき中国人ビジネスマンが、その『徳川家康』中国語版を小脇にかかえて通り過ぎていった。
不思議な感慨に捕らわれた。どうして徳川家康が、中国人に受ける?(あんな人生、おそらく理解出来ないだろうに?)
五月下旬、ようやく仕事に一段落ついて、中国語のメディアをあちこち、ネットサーフィンしていたら、「多維新聞網」の意見開陳欄(5月26日付け)に、徳川家康に関しての投書がたくさん集まっているのを見つけた。
ざっと読んで先の静かな徳川家康ブームが本物なんだと得心できた。
或る中国人読者曰く。
「徳川家康は徳川王朝の初代君主である。日本の戦国時代にあって群雄をたいらげ、360年にわたる長期政権の礎をつくった。徳川政権は大和精神の堡塁を維持したが、1867年に欧米列強の巨砲の前に崩れ去り、天皇政治が復活し、明治維新の時は日本人の怨嗟の対象となった。
また中国の知識人にとっては辛亥革命前、「清朝を斃すことが出来る」という考え方を抱くに至った。(中略)徳川の生き方は謀略とはかりごとに満ちており、一方で全国統一という理想を失わず、中国で比較すれば『三国志演義』『資治通鑑』に匹敵するだろう。」
ここまで読んで、なるほど中国的解釈というのは、この程度のものかと感心する。
浅薄な西側歴史家と同様に、徳川を「王朝」と勘違いしていることや、徳川政権が360年続いたという事実誤認(実際は260年余)は置くとしても、徳川王朝が天皇政治と「交替した」かのような、中国同様の易姓革命の史観でとらえている。
最大の誤謬であろう。
そして、こうも言う。
「徳川家康は百戦百勝という孫子の概念を理解して、戦争でも謀略を先に仕掛け、戦略的思考から、あらゆる忍耐に耐えた。忍耐は屈辱でもなければ怯懦でもない。たとえ奴隷の如く、屈辱に耐えてでも、その先の勝利を確信していたからだ。主君・織田信長が、家康の長男に切腹を命じたときですら、家康は反乱を起こさずに耐えた。天下をとるという悲壮な決意が、忍耐を生ませたのである」。
孫子のくに、謀略史観が主流のくにである故に、こういう解釈が出てくるのも当然だろう。小生、この箇所まで読んで、はたと手を打った。おそらく中国語訳は、山岡荘八の原作にある情緒や人間味の描写を離れ、そういう中国的味付けで、再構成しているのではないか。(なにしろ中国語訳にまともな作品はすくないから)。
ともあれ徳川家康が中国人ビジネスマンに読まれている現実は驚きでしかない。
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