1913 水稲単作地帯の性教育 渡部亮次郎

コメを作る稲には水を張った水田に植える水稲と畠に植える陸稲(おかぼ)の2種類がある。日本では水稲が大部分だ。中でも雪の多い日本海岸は二毛作は勿論、裏作もできない。こういうところを専門用語では水稲単作地帯という。
私の生まれた秋田県の旧八郎潟沿岸こそは典型的な水稲単作地帯。加えて地下水位が高く、30センチも掘れば水が上がってくるような土地だから野菜すらろくにできなかった。
東北地方で果樹といえば定番リンゴだが、勿論、水田でリンゴは栽培できない。山や丘なら可能だが、家からそこまでは何キロも歩かなければ到達できない。それくらい水田が広がっていた。
学校で写生の時間があったが、描く対象がない。南米のパンパス(草原)を遠足するようなもので、水田を描くわけには行かない。仕方ないから八郎潟の向こうに坐っている男鹿半島の山しか描かなかった。
秋になると津軽の弘前周辺から行商の伯母さんたちが国鉄(当時)の奥羽線で名産のリンゴを売りに来た。大好物だから母は必ず買ってくれた。
当時は紅玉(紅玉)という品種。皮も実も柔らかかったので、1度に4つも5つも皮ごと食べた。野球部だったから疲れの回復に、とリンゴに加えて砂糖大量に舐めた。
<2006年現在世界では年間約6千万tのリンゴが栽培されている。生産量は中国がトップで、アメリカ合衆国、フランスなどが続く。
日本では青森県、長野県、岩手県で主に栽培されており、青森県は全国の50%のリンゴを生産している。日本の都市でリンゴの生産量が最も多いのは弘前市で全国の約20%を生産している。>「ウィキペディア」
砂糖など甘いものを体内で消化するためにはビタミンB1が必要。それを知らずにいたものだからビタミンB1欠乏症=脚気になり夏の合宿中に気を失った。心機能を犯す「心臓脚気」と診断された。危うく命を落とすところだった。
先生が医師法違反を承知でこっそり、教員室でビタミン注射を続けて下さったので、間もなく全快。事なきを得た。翌春高校に進学。それでも農作業の手伝いは続いた。
水田単作地帯では季節に合わせて稲作りをする。各家で一斉に苗作りを始めるから田植えは協業で進める事になる。10軒ぐらいが協業を組んでさっさと済まさなければ、苗が伸びすぎてしまって田植えが不能になるからだ。
現在はすべて機械で進める。田植えは各家がそれぞれ1日か2日で済ませることが可能。だから土日だけの農作業、サラリーマン農業.ただし作業は孤独である。女性は田圃から解放された。
昔は田植えに中学生でも動員される。水田に苗を植える女性の前面に脇から苗を蒔き投げる作業は、子供の仕事なのだ。昼になるとあぜ道に弁当をみんなで広げるのだが、そんなところで子供に性教育が施されたものだ。
汚れた下半身を用水路で洗うのだから、女性たちの裸体が眼前に展開する。わざと見せる女性も居る。あまりにも具体的な猥談も展開する。懐かしい思い出だ。昔の農村では、こうしてやんわり性教育が進んだから、いまのような性犯罪は起きなかった。
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