韓国の朝鮮日報が「ともすると飛び出す金正日死亡説」の表題で上下二回にわたって金正日総書記の死亡説の特集を行っている。一九九二年に乗馬中の金正日が落馬して意識不明説が流れて以来、今回の襲撃暗殺説まで四回の事故説が伝わっている。
情報鎖国の国で絶対権力を握る金正日総書記だけに、後継問題もからんで死亡説が間歇温泉のように流れる。今回も虚報だったが、北京やモスクワにまで伝わって大騒ぎとなった。まさに”ともすると飛び出す金正日死亡説”である。
<最近、インターネットメディアを通じて広まった北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死亡説は、中国やモスクワにまで飛び火して騒動となったが、結局は誤報に終わった。
今回の騒動は韓国のあるインターネットメディアが「北朝鮮の軍部に情報ネットワークを持つ消息筋」の話を引用し、「金総書記が5月26日午後7-8時ごろに平壌と黄海南道安岳郡の間の道路で襲撃され死亡した」と伝えたことがきっかけだった。しかし、騒動は韓国政府が公式否定して終わった。
金総書記の「落馬説」「事故説」「危篤説」などうわさはなぜ繰り返されるのか。それは金総書記が隠居生活を送っているだけでなく、絶対権力を握る彼の死がすなわち体制変化を意味するからだ。
金総書記の事故説は今回が4回目だ。最初は1992年に乗馬中の金総書記が落馬し、意識不明になったという情報だった。その後、健在であることが判明し、説は説止まりだったが、当時金総書記の料理人を務めていた藤本健二氏は「金総書記は落馬して頭部をひどく負傷した」と証言した。藤本氏の証言は落馬事件が事実だったことを証明している。
当時、北朝鮮内部でも権力後継者とみられていた金総書記が公式の場に何カ月も姿を見せず、「死亡説」が絶えず流れていた。北朝鮮政府幹部だった脱北者は「何かあったといううわさはあったが、情報が封鎖されており、高級幹部ですら情報に焦りを感じていた。新しい指導者が立つのではないかとのうわさも広がり、北朝鮮内部は緊張していた」と振り返った。当時、北朝鮮内部では金総書記がてんかんにかかり、人と会うのを避けているとのうわさが出回り、国家安全保衛部がうわさの出所に対する内偵を進めたという。
2回目は金総書記の「襲撃説」。産経新聞が1994年2月18日に「金総書記の身辺異常説と関連し、警察当局が事実確認を行った結果未確認情報を得た」と伝えたことがきっかけだった。当時の李基沢(イ・ギテク)民主党代表が外国人に対し、「金総書記が政権を担当できないほどの致命傷を負った」と発言して広がったが、結局は事実無根と判明した。(続く)
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1917 ともすると飛び出す金正日死亡説(上) 古沢襄

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