1919 問責決議の情けなさ 花岡信昭

政治はここまで劣化してしまった。参院本会議で福田首相に対する問責決議案が可決された。12日に衆院で内閣信任決議が、こんどは与党の圧倒的多数で可決される。
こんなことをやっている余裕があるのか。問責と信任の両方をぶつけ合って、いったいどういう意味があるというのか。
問責決議は憲法にも国会法にも規定はない。法的拘束力ゼロだ。これまで閣僚に対して行われたことはあったが、首相に対する問責は初めてである。
民主党が法的根拠のない問責決議を首相に対して発動したという事実は、重く受け止めるべきだ。法治国家にあって、法的根拠よりも政略的思惑が優先された。
それも小沢一郎代表の指示による。ということは、小沢氏は「人知の国」を目指しているのか。
今回の民主党の判断はきちんと検証されるべきだ。狙いははっきりしている。通常国会を与野党激突のかたちで閉幕に持っていかないと、かたちがつかないからだ。
問責を受けた首相との審議はできない、というのが民主党など野党の主張だ。国会は条約の自然承認を待つため、6日間延長されるが、実質的な審議はもうないのだから、問責決議は何の意味もない。
民主党幹部たちが、勝った、勝ったと気勢をあげているのだとすれば、その神経を疑う。
参院の問責決議と衆院の信任決議。いずれがより重いかは、おのずと明らかだ。もはや茶番としかいいようがない。
国家公務員制度改革基本法で民主党は与党に歩み寄り、成立させた。その姿勢は高く評価されたはずなのだが、問責決議によってすべて吹き飛んだ。
後期高齢者医療制度の廃止法案を参院で可決した民主党だが、これに代わる案はまったく示されていない。
民主党はどうなってしまったのか。政権交代可能な2大政党時代の到来を待ちわびる立場からしても、民主党のダッチロール症候群はいかんともしがたい。
一時は問責決議を出さない方向に傾いていたはずだ。やっと現実的になったか、政権担当能力を示そうという方向に脱皮したか、と思っていたのだが、すべて勘違いだった。
問責決議可決には造反者も出た。今後、党内は結束強化に向かうのか、一皮めくれば、相変わらずの「バラバラ政党」なのか、そこを見極めていく必要がありそうだ。
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