1973年の第四次中東戦争に端を発したオイルショックで、エネルギーを中東の石油に依存してきた日本は深刻な打撃を受けた。すでに35年前の話となったのでトイレットペーパーや洗剤などが店頭から姿を消したと言っても実感が伴わない。テレビの深夜放送まで休止したことも知る人は少なくなった。
当時の日本経済は列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレが発生していたが、オイルショックの便乗値上げでインフレが加速された。「狂乱物価」という言葉が生まれた。庶民の生活が中東情勢の激震の余波をまともに受けたのである。
1978年のイラン革命で日本は再び第一次オイルショック並の影響を受けた。イランから大量の原油を購入していたからである。ガソリンスタンドの日曜祝日休業が第一次オイルショック同様に行われている。
その危機がまた日本を襲おうとしている。第三次オイルショックの可能性が国際的に懸念されている。
共同通信によれば「最近の原油価格急騰の影響で、世界全体の国内総生産(GDP)総額に対する原油購入費の割合が上昇し、2008年は第2次石油危機時の水準に迫る見通しであることが12日、国際エネルギー機関(IEA)の試算で分かった」という。
IEAの田中伸男事務局長は「世界は第3次石油危機と言える」と懸念を表明、産油国の生産力増強などが必要との考えを示した。8日に青森市で開かれた”G8エネルギー相”会合で「第三次オイルショック」という言葉を用いて問題の重大さを訴える一幕があったばかり。
だが、今度ばかりは過去70年代におこった二度のオイルショックとは様相が違う。最初のオイルショックは中東戦争、二度目のオイルショックはイラン革命という政治・軍事的な要素が引き金となった。
世界経済に与えた影響は大きいが、先進国経済が中東石油に極端に依存していることが明らかになり、とくに日本はその代表だった。米国は中東以外での新しい油田開発、調査が活発となった。
ヨーロッパでは原子力(フランス)や風力、太陽光(ドイツ)など非石油エネルギーの活用が進んだ。日本も省エネルギー技術の研究開発へ取り組んだ。必ずしもマイナス効果だけだったわけではない。ロシアの様な資源国家は原油価格の急騰で得をした。
今回の原油価格高騰は2004年頃から顕著となっている。中国での石油需要増加予測や原油先物市場における思惑買いから原油先物相場が史上最高値を更新し続けてきた。これには米国のサブプライムローン問題で、資金の流れが原油市場に流れ込み、さらなる原油価格高騰を招いているといわれる。
原油先物相場という作られた価格高騰だから実態は一バーレル当たり70ドル程度が実勢だという指摘もある。石油消費国は140ドルが200ドルになると怯えるばかりだが、如何にも芸がない。
日本でも第三次オイルショックが現実のものとなり、値上げラッシュで個人消費が冷え込めば、立ち直りをみせている日本の景気が後退すると懸念されている。
過去二回のオイルショックの学習効果はどこにいったのだろうか。省エネルギー技術だけでは、この危機は乗り越えられない。
非石油エネルギーの活用に積極的に取り組み、同時に鉄道をはじめとする公共交通機関を再評価することが必要ではないか。高速道路を作って排気ガス公害をまき散らす時代は終わった。
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1925 第三次オイルショックの懸念 古沢襄

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