イザベラ・バード著「日本奥地紀行」から。
「彼らは日本政府に対して奇妙な恐怖――私にはばかばかしい恐怖と思われるのだが――を抱いている。役人たちが彼らを脅迫し酷い目にあわせているからだ、とシーボルト氏は考えている。それはありうることであろう。しかし、開拓使庁が彼らに好意を持っており、アイヌ人を(幕藩体制の)被征服民族としての圧迫的な束縛から解放し、さらに彼らを人道的に正当に取り扱っていることは、例えばアメリカ政府が北米インディアンを取り扱っているよりもはるかにまさる、と私は心から思っている」
バード女史は訪日前にアメリカ・カナダを踏査しているから、北米インディアンの悲惨さを見聞していただろう。彼らの多くは荒野の居留地に追いやられ、今ではアルコール漬けにされて消滅されつつあるように小生には思えるが、バード女史も酒を「アイヌ民族の大害」と言う。アイヌも昔から酒は飲んでいただろうが、和人との交易で容易に酒が入手できるために飲酒量が急増したようだ。
アイヌにとって飲酒が「神事」であることもそれに拍車をかけている。
「『神のために酒を飲むこと』が主要な『崇拝』行為である。かくして酩酊と宗教は不可分のものであり、アイヌ人が酒を飲めば飲むほど、神に対して信心が篤いことになり、神はそれだけ喜ぶことになる。酒以外はなにも神を喜ばせる価値がないように見える」
小生のような飲兵衛には極楽的世界だ。
「彼らはある木の根から、また彼らの作った黍や日本産の米から、ある種の酒を醸造する。しかし日本の酒が彼らの唯一の好物である。彼らは儲けを全部はたいて日本酒を買い、それをものすごく多量に飲む。泥酔こそは、これら哀れなる未開人の望む最高の幸福であり、『神々のために飲む』と信じ込んでいるために、泥酔状態は彼らにとって神聖なものとなる。男も女も同じようのこの悪徳にひたっている」
現在、アイヌ=アル中という話は聞かないから、教育などを通じて同化していく中でこの悪習はなくなっていったのだろう。当時でもすでに酒を飲まないアイヌもいた。
「(酋長の養子のピピチャリは)全くの禁酒家で、紋別でちょうど今漁業に従事している多くのアイヌ人の中で、彼のほかに四人だけしか禁酒家はいないという」
「ピピチャリに、なぜ酒を飲まないのか、と尋ねた。すると彼は真実に満ちた簡潔な言葉で答えた。『酒は人間を犬のようにするから』」
「なんという奇妙な生活であろう! 何事も知らず、何事も望まず、わずかに恐れるだけである。着ることと食べることの必要が生活の原動力となる唯一の原理であり、酒が豊富にあることが唯一の善である!」
ところで話は一気に「今日のアイヌ」に飛ぶが、「アイヌ民族を先住民族と認定するよう政府に求める初の国会決議が6日の衆参両院本会議で、全会一致で採択された」(6月6日、毎日新聞)。
<これを受け町村信孝官房長官は両院本会議で、政府として初めてアイヌを「先住民族」と認識することを表明し、正式な認定に前向きな姿勢を示した。政府は今後、「アイヌ有識者会議」(仮称)を設置し、先住民族と認めた場合の先住権の内容などを検討する方針。アイヌの先住権を認めず北海道開発を優先してきた明治以来のアイヌ政策の転換につながる可能性が出てきた。
決議は昨年9月に国連で「先住民族の権利宣言」が採択されたことにより、具体的な行動が求められていると指摘。「我が国が近代化する過程において多数のアイヌの人々が差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を厳粛に受け止めなければならない」とし、先住民族としての認定と総合的な施策の確立を政府に求めた>という。
「先住性」を基に独自の文化や生活の保護・再生を進める総合的な施策の拡充を求めていた北海道ウタリ協会の加藤忠理事長は参院本会議を傍聴後、「本当に感動した。これまでのアイヌ民族に対する不正義に終止符を打ち、新たな視点でお互いを尊重する社会づくりの一歩にしてほしい」と語った、という。
「アイヌの明日」はどうなるのか。北海道庁が06年に行った調査では、道内にアイヌは2万3782人が居住している。我々は先住民族だ、広大な居留地をよこせ、生活保護を手厚くしろ、事業資金を優先的に融資しろ、市役所の仕事を斡旋しろ、などと要求するのだろうか。そうなればインディアンの悲劇が日本でも起きる。
過日立ち読みした雑誌「フラッシュ」(講談社)で野中広務氏は同和行政についてこう語っていた。「差別利権は新たな差別を生む」。誠に至言、正論である。
ところで小生は縄文人か弥生人の末裔だが、アイヌは小生より「先住民族」なのか? 科学的根拠を示して欲しいものである。(おわり)
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