朝日新聞夕刊の名物コラム「素粒子」が総攻撃にあっている。死刑執行数の多い鳩山法相を「死に神」と形容したことが問題なのだという。
とかく批判されることが多い朝日新聞だが、今回の一件は「坊主憎けりゃ・・・」のニオイもする。「言葉狩り」につながるおそれもなしとしない。
当方、朝日のカタを持ってもなんらの得にはならないし、ふだんは朝日の基本スタンスを批判することも多いのだが、この件は、ちょっと慎重に考えるべきではないかと感じてきた。
問題にされた6月18日付「素粒子」はこういう内容であった。
<永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様。
× ×
永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。
× ×
永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためのを繰り返して出世栄進。またの名、国民軽侮の疫病神。 >
以上が問題の「素粒子」である。
つまり、「永世」「神」というキーワードで3つの話をつなげたものだ。文章全体の中で「死に神」表現を受け止めたい。
死に神呼ばわりされた鳩山法相が怒るのは分かる。だが、鳩山法相は記者会見で「犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れて行かれたのとは違う。執行された方に対する侮辱だ」と述べた。
政治家としては、なんと形容されようとも、いちいち怒っていたのでは身が持たないし、大人気ないという批判も浴びかねない。「死に神といわれちゃったよ」と笑い飛ばすのが大政治家だ。だから、「執行された方への侮辱」を前面に出したということか。
一方、「全国犯罪被害者の会」は「犯罪被害者遺族も法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いというイメージを国民に与えかねない」などと、朝日に抗議した。
すべて合わせれば、「死に神」表現は、当事者の法相、死刑執行された方、犯罪被害者遺族のそれぞれに対する「侮辱」ということになる。
朝日にはこの「素粒子」に対し、1800件の抗議が寄せられたという。
これは、ブログの炎上と似ている。小生も炎上体験があるが、思い出すと、そのとき寄せられたコメントはちょうど同じ1800件だった。
この騒ぎに対し、「素粒子」は21日付でこう釈明した。
<鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」との内容でした。
× ×
法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。
× ×
風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。 >
これは炎上したブログの「消火法」にのっとったものといえる。ブログ炎上のケースでは、抗議コメントは本気になって怒っているものが多い。ときに「便乗して騒ぐタイプ」もいるのだが、ほとんどは本気だ。だから、そこは素直に「謝罪」するのが一番いい、というのがネット社会の「常識」となっている。
小生のケースでも、あちこちからサジェスチョンを受けて、そういう対応を取った。そうしなければ、収拾がつかない。
そう考えると、この「釈明・素粒子」は消火法としては不十分である。頭を下げるのであれば、謝罪、削除まで踏み込まないと、完全鎮火は困難になり、逆に「火にアブラ」となってしまう。
「素粒子」は朝日のベテランの書き手が担当している。それが、「風刺コラムは難しい」「表現の方法、技量を磨かなければ」などと言ってしまっては、「素粒子を担当するだけのプロではなかったのか」ということになってしまう。
ものかき業界の末端を汚す身としては、素粒子筆者の気持ちは痛いほど分かるが、いったん書いてしまった以上、こういった「繰り言」めいた釈明は無用だ。いまさら、表現の技量を磨かなければ、というのであれば、朝日夕刊の1面を飾る伝統コラムを担当するレベルまで達していなかったことを自ら認めてしまったことになる。
であれば、ここは担当を降りる以外にない。当方の感覚からすれば、最初の記事よりも後の記事のほうが、より問題が大きいようにも思える。
当初の「素粒子」の認識に対しては、当方も異論を持つ。死刑執行は法で定められた手続きであって、むしろ100人もの死刑確定者を「税金で食わせている」のがいいのかどうかという議論が必要だ。
法相になって宗教上の理由から死刑執行書へのサインをしなかった人もいる。これもおかしい。そうであるならば法相就任を辞退すべきだ。
これまでの例だと、法相というのは、辞める寸前にバタバタとサインする人が多かったという。いくら凶悪犯罪者であるといっても人間の命を奪うのだから、躊躇するのも当然だろう。
鳩山法相になって死刑執行の数が増えたというのは、なんら指弾されるべきことではない。法相の言の通り、法的手続きを厳正に進めているにすぎない。
死刑制度そのものについて、存続か廃止かといった論議は、今回の「死に神」表現とはまた別の次元の話である。
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1966 「死に神」騒ぎのおかしさ 花岡信昭

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