1971 「2度目の洪水」は聖書にない 平井修一

南極の氷が融けて水位が最大60センチ上がり、水没する面積は大変なものだ、地球は温暖化している! それを食い止めよう! この論が正しいかどうかは門外漢の小生はまったく分からないが、それは正論だと「初めチョロチョロ、中パッパ、石油なくとも鯨捕るな」と唱える“環境屋”には警戒が必要だ。
地球に大水害は本当に来るのか。紀元前の旧約聖書の世界で最大の災害は「ノアの洪水」だろうが、その再来はあるのか。旧約聖書の「創世記」を読み直した。
人間が過ちを犯すように、神様(ヤーベあるいはエホバあるいはゴッド)はこの世の創造に失敗した。
愛の傍ら、憎悪、嫉妬、裏切り、窃盗、殺人、姦淫、遂には悪徳と不倫あふれるソドムとゴムラという、ろくでもない街と人間が生まれてしまったのだ。ナイフを持ってアキバで何の関係もない人を殺しまくるキチガイまで生んでしまった。
明確なモラルとビジョンを示して導かなければ「ヒトはただのサル」という小生の持論を紀元前の神は知らなかったのである。イチジクのパンツをはかせれば人になると思っていた。天地創造(子育て)なんて神にとっても初体験だから間違いを犯すのだ。
「神は我が身に似せて人を造った」から、その神に似た人が誤ってソドムとゴムラを創ってしまったのは、その生みの親である神も、いつなんどき誤るかもしれない存在であるという証拠である。人は神を映す鏡、神は人を映す鏡で、まったく一緒なのだ。「この親(神)にしてこの子(ヒト)あり」と。
神は奇跡的な善人のノアに、この世の再編、ガラガラポンを委嘱した。神は「必要なもの以外はすべて殺す」と非情な決断をした。これにより世界が変わると期待した。
地上の悪なるものをすべて消し去る大洪水。すっかり水が引いた1年後、新しい世界を見ながら、しかし、神は絶望的な気分になる。地上は泥水に覆われていた。腐臭ふんぷんだ。
「私は再び地球を呪わない。人間は本源的に若いときからどうしようもない愚かで弱い存在なのだ。今回の大洪水のようなことをやってもしょうがない。それは2度としまい。
人間には永遠に労働と、寒さと暑さ、昼と夜という試練を与え、真面目に生きるようにさせよう」
そしてノアとすべての生き物にこう約束するのだ。「水が再び洪水となってすべての生物を亡ぼすことはない」。(旧約聖書第9章4-12)
人類は温暖化で亡びるのではない。モラルのない「エゴ」がソドムとゴムラを再生産し、自壊していくのである。
1人ひとりが創造主の気分になって、地球と人との共生の道を探れば、日本の進むべき針路も現れてくるのではないか。異形の国家群を「どげんかせんといかん」(東国原宮崎県知事)だろう。
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