大相撲の東京場所の千秋楽で、朝青龍関が白鵬関を倒したあとで、両手で強く押した。すると、白鵬が憤って、立ちあがりながら肘で朝青龍の胸を突き、両横綱が形相を変えて睨みあうという、プロレス凝いの場面があった。やはり、モンゴルと日本文化は違うのだ。
もっとも、柔道のやわらちゃんがオリンピック大会で挑戦者を倒して、優勝が決まった時に、相手に対して一礼することなく、すぐにガッツポーズをつくって喜んだのを見て、やわらちゃんのファンだっただけに、落胆した。
私は柔道チームの監督を含めて、日本人が劣化した、と思った。武道は礼に始まって、礼に終わるものである。オリンピックは日本が礼の国であることを、世界に示す舞台であったはずだ。柔道こそ、日本の国技ではなかったのか。
人生も、芸である。そうだとすれば、あらゆる芸術は形と、内容から成り立っている。だから、作法(マナー)が重んじられる。
日本の礼儀作法の基本が何かといえば、己(おのれ)を抑えることにある。
私は多少、武道にかかわっているが、武道は処世学に通じる。優れた武道家は、何よりも己に勝たなければならない。
心と技(わざ)が合わさることによって、武がなりたつが、立ちかた、重心のとりかた、表情、足の運びかたをはじめとする、すべての所作が重要である。集中力をたかめることによって、気が生まれる。
このためには、つねに平常心を養わねばならない。そうすることによって、刻々と相手の動きに、注意を払うことができる。謙(へりくだ)って相手に敬意を払わなければ、相手がよく見えない。
自己を抑えることによって、平常心がえられる。技だけに頼っては、勝つことができない。優れた武道家は、心を磨いている。
優れた武道家にとどまらず、一芸に秀でた人には魅力がある。このような人々はかならず謙虚で、傲ることがない。
今日の日本には、目先きの欲に駆られるために、小手先を重んじて、躓(つまづ)く者が多い。武道は勝とうと思って、勝つものではない。結果として、勝つのだ。このような人は自己中心であって、人としての品格を欠いている。
胆力を養いたい。そのためには、呼吸法を学びたい。正しい呼吸を行うことによって、落着きをもたらす。
呼吸法には、四通りがある。腹式呼吸は息を吸うときに、腹をふくらませ、吐くときにへこませる。鼻で吸い、口で吐く。逆腹式呼吸は腹式呼吸の逆で、吐くときに腹をふくらませ、吸うときに腹をへこます。吐(と)色(しき)呼吸は腹式呼吸で、果敢に声を出す。
息閉呼吸は腹式で吸い吐くの間で、息をいったん止め、丹田に集中し、再び腹式呼吸を行う。
和装の作法も、己を抑えることに特徴がある。日本の女性は世界のなかでもっとも優雅な婦人であったが、起居振舞いによるものだった。己を抑えて、行動したからだった。
ところが、今日では日本の女性にしとやかとか、羞(はじら)いとか、たしなみといった言葉は、無縁なものになってしまった。
女性は、男の鏡である。男たちが品格を失ったから、日本の女性の顔立ちや、振舞いが卑しくなってしまった。大和(やまと)撫子(なでしこ)と呼ばれたのに、安っぽい香港フラワーを思わせる。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(7月7日現在2022本)
コメント