2043 西岡慶大教授の復刻版新書 古沢襄

次女が慶応女子高校に入った時に慶応大学の先生が出した本を読み漁ったことがある。娘が読んだわけでない。父親が読み漁ったのだから、典型的な”親バカ”とからかわれても仕方ない。
その中で一番印象に残ったのは、民俗考古学の権威である西岡秀雄教授の「七百年周期説による逆発想の日本史 天候異変が教えたもう一つの真実」という新書版の本。西岡教授には「日本人の源流をさぐる 民族移動をうながす気候変動」「味でさぐる世界の文化 ヨーロッパ・中近東」など数多くの著作がある。
「逆発想の日本史」の中に日本に現れたオーロラ現象について明和7年(1770)7月28日夜の記録が紹介されていた。「想山著聞奇集」によれば北は北海道から南は長崎まで眺められた極光(オーロラ)。江戸時代で最大のものであった。
平安時代のような暖期には日本ではオーロラは見れない。寒期になるとオーロラが頻繁に見れるようになると、西岡教授はオーロラ出現記録と日本の気候変化を詳しく検証している。
話はがらりと変わるが親友の全英和尚から「寺史」を書いてくれとせがまれた。「オレは寺作家じゃーないんだよ」と逃げ回ったが、大酒を二人で飲んでいる中に酔いにまかせて隙をみせたらしい。岩手県から帰って四、五日したら、ダンボール箱に一杯の資料を送ってきた。
資料魔の私のことである。読み出したらとまらない。とくに興味を駆られたのは「沢内開闢(かいびゃく)稔(年)代記」「沢内年代記」「沢内村郷土誌」の郷土資料だった。いずれも書写本なのだが、そこに明和7年(1770)7月28日夜のオーロラ記録が出ていた。
「沢内年代記」は異本があるが、その中に「下巾本」というのがある。その「喜三太の詮議」の庚寅七年(一七七〇)に「七月二十八日夜、子の刻よりはじめて(始めて)空の色赤くなる。雲やけ(焼け)の如し」という記述があった。西岡教授から教えられた「想山著聞奇集」と「沢内年代記」が結びついた。
http://blog.kajika.net/?search=%C2%F4%C6%E2%C7%AF%C2%E5%B5%AD
鬼の首でもとったかの様に興奮した私だが、娘はそれほど感動してくれない。文学部に行って西岡教授に弟子入りでもしてくれたら、とひそかに思っていたが、さっさと経済学部に進学して卒業したら大学院の修士課程に行ってしまった。
最近、杜父魚ブログの読者から吉報が寄せられた。「西岡先生の本が復刻出版されます」という知らせ。教え子の一人なのだろう。
<先生が30年以上前(1979/昭和53)に出した「七百年周期説による逆発想の日本史―天候異変が教えたもう一つの真実 」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/00475499
という著書が気候温暖化をテーマにしているので、このたびPHP研究所から復刻版新書として出版されることになりました。
「寒暖700年周期説」 西岡秀雄 2008年7月22日発売 税別950円>
嬉しい知らせである。西岡教授は慶応大学の名物教授だった。地球の寒暖の七百年周期説を唱えて、平易な例示をしながら講義をするから、学生たちに人気があった。
アメリカのハンチントン・エール大学教授が気候脈動説を唱え、「気候と文明」の著書を出してから欧米では気候の歴史に及ぼす研究が盛んになった。西岡教授はこの流れを汲む学者といえる。
歴史とは人間の歩みを記録したものだが、西岡教授は人間にも歴史にも気候が大きく影響してきたという。そして一定の法則を発見した。それが気候七百年周期説となって学会で発表、ハンチントン教授からも絶賛を浴びている。
さらに暖期には天皇の寿命が長く、寒期には短い。また古くは河内、大和から奈良、京都、鎌倉、江戸と時代の中心地が変遷しているが、温暖期には水面が上がり、寒冷期には水面が下がる影響があるので、それが影響した説をとった。
一九七〇年代に地球の寒冷化説、氷河期の到来説が流行った時に「あと数世紀は暖かいでしょう」とあえて異説を唱えた西岡教授だったが・・・。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(7月7日現在2022本)

コメント

  1. 荒木純夫 より:

     ご無沙汰しております。荒木純夫です。懐かしい名前を見つけて,思わず返信してしまいました。
    >「寒暖700年周期説」 西岡秀雄 2008年7月22日発売 税別950円>
     全く持ってうれしい話です。私,教科書として「気候700年周期説―寒暖の歴史」 (1974年)を使っており,今も探せば我が家にあるはずです。今子そこの本が必要と思っていたのですが,本当に復刻されたのですね。
    >嬉しい知らせである。西岡教授は慶応大学の名物教授だった。地球の寒暖の700年周期説を唱えて、平易な例示をしながら講義をするから、学生たちに人気があった。
     私大学2年の時に西岡先生の「人文地理」を履修し,ありがたくもAを頂いております。先生の講義は当時の常識からすると大変ユニークで,学生を退屈させないように,それはそれは創意工夫をしておりました。今のようにパソコンで簡単にプレゼンテーション資料が作成できない時代に,法隆寺論争を説明するために模造紙でプレゼンテーション資料を作成し,五重の塔の礎石から何が出てきたかというところでは,満席の教室内で学生達から割れんばかりの拍手が沸き起こっていました。
     「気候700年周期説」の講義でも,本当に説得力がありました。暖冬のために室町時代に諏訪湖で御神渡りができなかったこと,幕末の品川宿で,六尺もの積雪があったという記録が残っていることなど,今でも覚えております。
    >1970年代に地球の寒冷化説、氷河期の到来説が流行った時に「あと数世紀は暖かいでしょう」とあえて異説を唱えた西岡教授だったが・・・。
     講義の最後に,「スキーが趣味の諸君,これから200年間はまだまだ暖かく成り続けるから,今後スキーができるとは期待しないように!」とも言われています。
     古澤さんははっきり書かれていませんが,この講義を受けた所為でしょうか,1970年代の寒冷化説が打って変わって温暖化説となり,しかもどこまでも暖かくなり続けるかのような考え方に対して,私は大変違和感を感じています。しかも,例えば大森貝塚は大森駅を大井町に向かって電車が走り出すとわかりますが,崖の上にあります。すなわち,今東海道線が走っている辺りは海の中で,かつて1万年以上前の時代の海岸線は,現在より20メートル近く高かったことになります。今は埋め立てられていまいましたが,我が家のすぐ目の前にも貝塚があり,ここも標高20メートル近くのところにあります。
     ですから,今のようなご時世にこそこの本が読まれるべきと思っていたのですが,やはり,同じような考え方の人が世の中にいらっしゃったということです。
     西岡先生は1913年生まれなので,ご存命なら今年で95歳になられますが,私は学部が異なるため,先生の消息が全くわかりません。インターネットで調べても,ようやく生年はわかったのですがそこまでです。ただし,復刻版で書籍が出版されたということは,ご存命なのでしょうか。ご存命であれば,これまたうれしい限りです。
    ———-
    荒木純夫

タイトルとURLをコピーしました