本日は、安倍前首相が17日夜に埼玉県戸田市で行った講演について紹介します。この講演は、拉致被害者5人を北朝鮮に戻すべきだったとする自民党の加藤紘一元幹事長の意見について、「北朝鮮の主張そのもの」と切り捨てた点が注目されていますね。
安倍氏と国民の反応を甘く見て、北朝鮮問題を論じる前に3年間は地元に引っ込んでいろ、と啖呵を切った加藤氏は今、「倍返し」をくらっているような印象です。
この中で安倍氏が強調した「日本政府は北朝鮮との間で、5人を戻すという約束はしていない」という点は、偶然ですが、私も17日夜に某政府関係者らとの会合で話題にしていたことでもありました。
講演では、安倍氏自身が当時の北朝鮮との交渉担当者、田中均氏に問いただしたエピソードが出てきますが、別の政府高官も当時、田中氏にこの点を確かめ、「約束はしていないが、5人を戻さないと日本の立場が悪くなる」といった趣旨の回答を得ていたと聞いています。
私は以前のエントリでも、政府はそういう約束があったとは認めていないということを指摘していますが、加藤氏の発言はそもそも前提からして成り立たない話というわけです。
ただ、この講演で安倍氏は加藤氏の件以外にも、北朝鮮との外交とはどういうものか、対話と圧力の意味とは何か、当時、首相官邸ではどういう議論があったのかなどについても述べていますから、それも合わせて掲載します。
少し長いですが、安倍氏の考え方がよくわかり、一読の価値はあるのではないかと思います。
【北朝鮮は4分の1を申告しただけ】
北朝鮮のさまざまな問題に対して、対話と圧力、どちらに重点を置いて交渉していくべきか。こういう議論があるわけです。今般、6者協議において北朝鮮が核の申告を行う。そしてそれに対して米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する、そういうディールが行われたわけです。
私は率直に申しあげまして、この北朝鮮が北朝鮮が申告をすると言ったこと、そしてまたこの申告をしっかりと行っていけば、それは一歩前進だろうと思います。
しかし、それに対する米国側の対価としてテロ支援国家指定を解除する、これはあまりにも大きな代償を与えてしまったと思うのです。
核の問題について北朝鮮が申告をする、その申告は正確かつ完全でなければならない。こうわれわれは主張したのです。
米国もそう主張していた。そしてこの核の問題については、北朝鮮は、不可逆的に、もうまったく核を生産できないという状況にならなければいけない、とも言っていたわけですが、残念ながらこの不可逆的という目標は達成されないことになりました。
そして完全かつ正確かといえば、この核の申告についてはわれわれはポイントは4つあったと思います。一つは、プルトニウムから核爆弾をつくることがもう今後できないようにしていく、無能力化していく。寧辺の施設です。
もう一つは、ウランの濃縮計画をやらない。そしてもう一つは核の拡散を行わない、またどういうふうに行ってきたか、それを申告する。そしてもう一つは、どれぐらい核兵器を持っているか、という4点。
4つのポイントですが、彼らは、ウランの濃縮は申告しない、拡散も申告しない、核兵器も申告しない。プルトニウムについてのみ申告をし、そして今後これを無力化していこうということです。
日本にとっては常にどれぐらい核兵器ができているか、これが最大の問題なんです。残念ながら、これをやらずに彼らが一番欲しかったこのテロ支援国家指定の解除を得てしまったのです。
しかし、日本はいたずらに米国を非難してはならない。日米の同盟関係にひびを入れさせようというのが北朝鮮の思惑でもあるわけですから、北朝鮮を喜ばすようなことがあってはならない。
もっともっと相談してもらいたかったと思うわけですが、しかし、今後も、日米でしっかりと協力しながら、連携しながら、実際の実行面として、北朝鮮が実施をしていくかどうか、ちゃんと実行していくかどうかを見ながら、実態として厳しく北朝鮮をまさに追い詰めて圧力をかけていくことができるわけですから、日米で連携していくことが大切だろうと、こう思うわけです
【政府より甘いことを言うな】
そして、今回の(加藤、山崎拓両氏らとの)論争で私が申しあげたことは、今拉致問題において、日本と北朝鮮で政府、真剣な議論を行っています。
真剣な交渉を行っている、大変厳しい交渉を行っているときに、政府以外の人たち、特に国会議員、有力な議員は、政府より甘いことを言ってはいけませんよ、ということを私は申しあげたのです。
政府より甘いことをほかの議員が言ってしまっては、北朝鮮はまさにその甘い意見に乗って、これはもう「有力な国会議員がこう言っているじゃないか、政府はここまで下りて当然でしょう。さらに譲歩しなさい」ということになるわけです。
政府が交渉する上において、「国民も厳しいし、国会も厳しい。しかし、政府の判断でここまで下りてもいいけれども、あなたはもっと下りてくるべきだ。
ここまで下りるのは政府にとっては大変なハードルだけど、それは超えていくよ。あなたも大きなハードルを越えていきなさい」。
このように交渉するわけですが、しかし、「いや、そんなことをあなた言ったって、日本の国会や多くの議員は、もう経済制裁やめなさいと言ってるじゃないですか」と、こんなことになってしまえば、むしろ彼らは、もし政府が「経済制裁をゆるめていく」と言っても、もう「そんなのは当たり前でしょう」ということになってしまう。これはまさに交渉の常識であろうとこう申しあげたわけです。
私は、それはもう国会議員がだいたい持っている常識であろうから、そうではない人たちというのは一体どういうことなんだろうなと、こういう思いで、少し過激な発言(百害あって利権あり)でしたが、戒めたところです。
国会議員であればやはり、特に高い立場にある人であれば、そういう慎みを持ってもらいたいなあと、こういうことです。
【会う会わないをカードにする専制国家】
そこで今後の取り組みですが、対話と圧力の姿勢でこの拉致の問題も解決をしていく。核の問題もそうです、ミサイルの問題、包括的に解決を目指していく上においては、北朝鮮という国を相手にする以上、対話と圧力の姿勢で対応していかなければいけません。
よく、「安倍さん、そんなこと言ったってもう少し、対話に重点を置くべきだ」とこういう人がいます。そしてそれを主張する人たちもいます。問題は果たしてそれができるかどうか。交渉の技術としてそれができるかどうかということです。
一見、それはもっともらしいわけですが、「これから対話に重点をおいて、北朝鮮と対話をしていきます」と言った瞬間に、実は、交渉の主導権は相手に移ってしまうのです。
対話といった以上、交渉の場をつくらなくてはいけない。対話をしなければいけない。そうなれば向こうは対話するかしないかをまさに条件として活用することができるわけです。
専制国家は、この会うか会わないか、会談するかしないかを、まさに最初の条件として使うのです。つまり、会ってあげましょうか、そんなに対話をしたいんだったら対話をしてあげましょうか。しかしこういうことを飲んでもらわなければ会ってあげませんよ、ということになってしまう。
会ってから交渉が始まるのではなく、会う前にむしろ、彼らに一つ交渉の条件を与えてしまう。そういう大きな問題点があり、そしてそのことを彼らは最大のカードとして使うということになるわけです。
そして、「あなた、会ってあげましょう。しかし、経済制裁なんかしたのでは会えませんね」と言われたら、まず経済制裁を解除しなければ会えないということになってしまうのです。事実上、ほとんど圧力の効かない対話のみに流されてしまうという結論に論理的にならざるを得ないのです。
【圧力をかける意味と結果】
圧力に力点をおきながら対話をする。これは可能です。北朝鮮に圧力をかけ、彼らはこの圧力を振り払うためには対話の場に出てこなければならない。そしてわれわれの条件を聞かなければならないということになってくるわけです。
94年以来、93年以来といってもいいと思いますが、北朝鮮は国際社会にいろいろな挑戦をしてきました。93年にNPTから脱退をし、そしてソウルを火の海にする(と言って)、世界を振り回して、今日までやってきた。
その間日本はもう何万トンというお米を北朝鮮に援助をしてきたけれども、それによって得たものはまったくといってないといってもいいんだろうと、そう思います。
典型的な例では、2004年に、私たちは、帰ってきた5人の被害者の家族8人を取り戻すために北朝鮮に圧力をかけていました。
圧力をかけるためには、そのための法律が必要です。外為法を改正する必要がありました。そして船舶を入港禁止にするための法律が必要であった。2004年4月にその法律を、船舶を日本に入れないための法律を、国会に出しました。
そんな法律を出したら北朝鮮は怒って、テポドンでもノドンでも発射するんではないか。こんなことを言った人がいます。そして「そんなことをしたら、絶対に子供たちはかえってこない」と、こういいました。
今、対話に重点を置けと言っている人たちの多くはそうでしょう。しかし皆さん、結果はどうだったでしょうか。次の月、5月にまさに小泉総理の訪朝を受け入れ、8人の被害者(家族)を日本に返したじゃありませんか。
つまりこれこそ対話と圧力による問題の解決です。私たちは今まで、北朝鮮との交渉において経験があります。しかしその経験をときとして忘れてしまう。そうではないかなあ。それが残念ながら時たま起こることになるわけです。
【加藤紘一氏への批判】
先般、加藤紘一さんが「5人の被害者を北朝鮮に戻せばよかったじゃないか」、5人の被害者を戻さないという判断をした決断をした安倍さんは間違っている。こう言いました。約束を果たさなければいけない。こう言っていましたね。
加藤さんは、大きな考え違いをしていると思います。まず第一に、日本と北朝鮮が5人の被害者をまだ北朝鮮に戻ると約束したかどうかということです。
私は当時のアジア局長である田中氏に、田中局長にそのとき確かめています。「あなた約束したんですか」「そんな約束はしてません」。5人の被害者が日本に言っても、すぐまた北朝鮮に戻りたいと言っているそういう中で日程をつくっていこう、ということでした。
そもそも皆さん、そんな約束はあってはならないんです。荷物じゃないんですから。持ってきて返しますという約束を人間に対してできるわけがないじゃないですか。
気持ちがあるんです、心があるんです。日本に残りたいといっている人を、「またあなた、まさに拉致をした人たちのもとに戻りなさい」というような約束をしたら、それは日本の国家としての責任の放棄以外の何ものでもないと思います。
私はそう考えましたから彼にそう確かめたら、彼は「そんな約束をしていない」と言っているわけです。約束をした、それを日本は裏切ったというのはまさに北朝鮮の主張そのものなんです。
【5人が日本に残った経緯】
この5人の被害者をどうするか。この5人の方々日本に帰ってもらいたい。当初は5人の方々全員が、私たちはこの後、北朝鮮に戻ります、こういっていました。大変硬い表情でありました。
そして、2週間という時は過ぎ、いよいよどうするかという判断をしなければなりませんでした。そしてこの5人の被害者の方々、最終的には日本にとどまって子供たちを待つ。このように、考えを固めたのであります。
ではどうしようか。当時官房副長官であった私の部屋で協議をいたしました。この5人の被害者を「一旦、北朝鮮に行ってもらったほうが今後の交渉はスムーズに行われる」。外務省の一部はそう強く主張したのであります。
私はしかし、「そんなことをあなた言ったって、5人被害者の方はもう帰らないと決めたんだ。私たちは彼らを守る責任がある」。このように申しあげました。
そして、中山恭子さん(当時・内閣官房参与)は、「まさにこの5人の被害者を守るという責任が日本という国にある。だから国家としてこの5人の被害者を帰さないということを決定しましょう。この5人の被害者の意思は外に出すのはやめましょう」。そういうお話しでした。私もその通りだと思いました。
この5人の被害者が北朝鮮に戻らないという意思を決定したということを北朝鮮に伝えれば、もしかしたら、北朝鮮がこの5人の被害者の子供たちに対して、どういう行動をするかどうか、分からないわけです。
その不安の中で、この5人の被害者の方々が、決断した以上、この5人の方々がそう言っているから、私たちが決めるということはおかしいわけです。だいたい考えてみれば、誘拐犯に誘拐された子供が帰ってきて、あなた誘拐犯に戻りたいんですか?あ、戻りたいんですか!と言って戻す親がいますか、皆さん。
そもそも考え方がまったく間違えているわけであって、私たちは日本として彼らが生まれ育った国日本として、国家として彼らの命を守るという意思をしっかりと示すべきだ、こう判断をしたのです。
その結果、5人の被害者の家族の人たちが日本に帰ってくることがなかなかできなかったら、われわれは大きな責任を負わなければいけません。しかし、それはやはり政治家がそういう責任をとって初めて、こういう決断ができるわけです。
【大切なのは家族の絆】
私たちはこの5人の被害者の方々が、子供たちとともに判断ができる環境をつくる、そういう責任がある、そう判断し、この5人の被害者を帰さないという決断をし、発表したところです。
なかなかこの5人の被害者の家族の方々が、日本に帰ってくることができるようになるまで時間がかかりました。大変私たちも一時は批判をされ、苦しい時期もあったわけです。何よりも辛かったのはこの5人の被害者の皆さんだろうと、こう思うわけです。
この5人の被害者の方々が、「最初は北朝鮮にすぐに戻りたい」と、そう言っていた。しかし、それが日本に残って子供たちを待つ、なぜこうなったか。
凍りついたような彼らの心を溶かしたものは何か。それは私は彼らが地域に帰って行った。そして地域の皆さんが、よく返ってきたね、応援しているよ、というこの地域の暖かさ、そして家族の絆なんだろうと思うわけです。
そして日本が国として彼らを守る、そういう決意を示したことによって、彼らは日本に残る、こう決断をしたのであると思います。子供や兄弟、そして家族が、何とかやっぱり一緒に生活をするべきだ、こう、かき口説いた家族の皆さんの愛情が彼らの気持ちを変えたんだろうなあ、こう思うわけであります。
日本が守っていかなければいけない伝統価値があるとすれば、変えてはいけないものがあるとすれば、それはやはり私は家族の絆ではないかなあ、改めてそう思ったようなところです。
【家族の思いと求められる忍耐】
北朝鮮という国を相手をしている以上、そう一筋縄では外交でもいかないわけです。われわれはしっかりと強い意志を持って、すべての拉致被害者が日本の土を踏むことができる日まで全力をつくしていかなければいけないと思います。
対話と圧力、圧力に重点をおいた対話と圧力の姿勢で交渉する以上、残念ながら時間がかかる場合もある、そのときに、われわれはしっかりと忍耐力を持たなければいけません。
日本は民主主義国家です、常にさまざまな批判にさらされます。時間が少しかかることによって大きな批判もある。しかし、皆さん、一番一分でも早く解決をしたい、こう考えているのは誰でしょうか。
それは拉致被害者のお父さんであり、お母さんであり、ご兄弟、ご家族なんです。この方々が、この問題を解決するには、圧力に重点を置いた対話と圧力しかない。長い長い年月をかけてそう思うにいたったのです。ですから、私たちは彼らの忍耐力を見習わなければならないのです。
政治的にもすぐに結論がでない、辛い時期でありますが、彼らも頑張っているんです、耐えているんです。私たちも耐えながら、北朝鮮がしっかりとこの問題を解決をしなければ、どうしようもないと思わせなければ、この問題は決して解決をしないわけであります。
またしばらく時間はかかるかもしれませんが、今がまさに忍耐が求められているときではないか。そうならなければ、まさに彼らの思うつぼにはまってしまうのではないかなあ、こう思うところです。
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杜父魚ブログの全記事・索引リスト(7月7日現在2022本)
2060 加藤紘一発言の虚妄 阿比留瑠比(あびる るい)

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