朝日新聞は極左を含めた容共左派の牙城だが、記者の中に反共右派の人はいるのだろうか。産経新聞は数少ない保守派の新聞だが、容共左派とは言えないまでも結構、小生から見れば左側を歩く「良心的、中立的」記者が居そうである。
産経の記者だった司馬遼太郎は後に知の巨人として大成し、ロシアの南下を阻止した日露戦争を美しく描いたが、それ以降の日本の戦争をほとんど「愚行」と罵っている(司馬史観)。
自虐史観にずいぶん捉われているようで、彼が朝日新聞や週刊朝日にせっせと寄稿していたのは、体質や匂いがともに通ずるからだろう。NHKもGHQの影響を受けているから自虐史観が主流で、毎年夏になると日本軍の「愚行」を放送しまくる。NHKも司馬が大好きである。
「月刊・正論」前編集長で産経新聞社編集委員の大島信三氏も左側を歩く「良心的、中立的」記者のように見えるが、どうなのか。
雑誌「正論」について小生は永らく疑念を懐いている。「正論」は中共の意向を受けて「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛を煽ったのではないかという疑念である。
「つくる会」は以前から内紛が絶えなかったが、2006年になると藤岡信勝と八木秀次の争いが激化するが、そのきっかけは「当時の会長の八木秀次や事務局員が中国を訪問し中国社会科学院のメンバーと歴史問題を討論したことなど」(2005年12月)で、その討論内容は雑誌「正論」(大島編集長)に06年春、掲載された。
藤岡は「八木氏はすでに中共の対日工作の窓口だった」と罵った(06年5月31日)。
この訪中をアレンジしたのは大島編集長ではなかったか、と小生は永らく疑念を持っているのだ。「討論をして『正論』に掲載する」という約束に大島氏が関与したことは当然である。
中国社会科学院日本研究所のサイトには「右翼雑誌『正論』が投降した」という書き込みもあるという。結果的に中共が憎悪していた「つくる会」は中共の狙い通りに崩壊し、産経グループの扶桑社は関係を解消した。
大島氏は2007年10月、こうブログに書いている。
<NHKのBS7「アジア・クロスロード」で、当欄ではお馴染みの香港PHXの時事討論会が放映されました。今回のテーマは、「日本の常任理事国入りを支持すべきか」・・・
中国が日本へ傾いてきている、という政治力学の変化が、この討論会にも反映されているのではないでしょうか>
ほとんど能天気のノーガードである。共産主義は己の利益のためには「平和愛好家」の衣をかぶり、翌日には平気で人を殺し、3日目には戦争を仕掛けるということを忘れてはいけない。嘘をつきまくり、30万人南京大虐殺を捏造するのが中共なのだ。
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