2072 シドニーの特殊潜航艇 平井修一

靖国神社「遊就館」の展示品で小生を一番感動させるのは野戦砲である。敵の銃弾によりえぐられた傷があちこちにある。戦いの激しさを物語り、小生は鎮魂の言葉も思い浮かばずに佇むばかりだ。この砲を操作していた兵士は戦死を免れ得なかったろう。
負け戦の傷を癒すには勝ち戦が必要だが、その機会をも奪われた。敗戦国は悲惨である。
戦勝国のアメリカは第2次大戦後はいろいろ戦争をしたが、ベトナム戦争に負けて以来、大局的には冷戦に勝ったとはいえ、個々の戦争ではまったく勝てないでいる。
日本をやっつけたような皆殺し作戦が国際世論の手前できないから、大統領や軍の首脳は忸怩たる思いで、兵士の墓標が増えるのを見続けるしかない。
日本に戦争を仕掛け、アジアでの日本のプレゼンスを駆逐するという愚行のツケを米国は払い続けている。親の祟りが子に報うという、因果応報だ。
「遊就館」の展示で次に感心させられるのは特殊潜航艇である。日本人の器用さがよく表れており、狭いところにびっしりと機械が収納されている。
6年ほど前にシドニー空港で日本の特殊潜航艇を展示していた。初めて見てびっくりしたが、シドニーくんだりまで足を伸ばして攻撃するという、日本人の執念というか熱意には舌を巻く思いだった。
<第2次特別攻撃隊の特殊潜航艇(特潜)は1942(昭和17)年5月、シドニー湾を攻撃。戦闘で海底に沈んだ3隻のうち2隻は、まもなく湾内で引き揚げられた。
特潜の魚雷攻撃で21人の水兵が亡くなったものの、豪海軍は当時、日本兵の勇敢な行動に感銘を受け、丁重に海軍葬を営んだ。不明だった3隻目は昨年11月、沿岸の海底から64年ぶりに見つかった。
ハワイ・真珠湾の特潜攻撃が戦果をあげなかったのに対し、シドニーとアフリカ・ディエゴスワレス(マダガスカル島)に出撃した第2次特別攻撃隊は6割が湾内に侵入し、打撃を与えた>(朝日、2007年08月31日)
小生が見たのは引き揚げられた2隻のうちの1隻だったろう。昨年の夏には豪海軍の主催によりシドニー海軍基地で特殊潜航艇に搭乗して戦死した日本兵の慰霊祭が行われ、元特潜乗組員も遺族らとともに参列したという。勇敢な行為は敵をも感動させるのである。
司馬遼太郎の自虐史観によれば、この行為も特攻隊同様に「愚行」なのだろう。負け犬根性は品性をおとしめ、卑屈にする。昨日、司馬の「韓のくに紀行」を読み、GHQの洗脳の根深さと司馬の後出しジャンケン史観にウンザリしたところでシドニーの特殊潜航艇を思い出したのである。
「敵ながらあっぱれ」と敬意を表する豪州軍人、「愚行」と同胞を罵る司馬。どちらが人間として上等かは明瞭である。
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