2075 国交回復のチョロギ 渡部亮次郎

久しぶりに「チョロギ」を食べた。角館(かくのだて=秋田県仙北市)の安藤醸造さんから戴いた「刻みガッコ」に茶色に漬かって入っていた。日本では東北地方を中心に栽培されている、というが私は北京で初対面だった。それをまた思い出した。
1972(昭和47)年9月25日、田中角栄首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官の乗った特別機に特に選ばれた5人の記者の1人として同行。梅原龍三郎画伯描く『北京秋天』そのもの、快晴の北京空港に降り立った。日中国交正常化交渉を見守るためである。
しかし、交渉の様子は全く分からない。日本側同行記者団80人に対する説明者の二階堂官房長官の毎日の発表は「発表できる事はありません」だけ。肝腎の田中首相とは釣魚台の迎賓館の部屋で到着翌日に短時間面会が許されただけで、後は梨のつぶて。
ホテルはソヴィエト人の設計とかで、天井がやたらに高くて、シャワーからは湯がろくに出ない。食事はやたら脂っこくて大抵の記者たちは3日目ぐらいで音を上げた。誰言うとなく出た言葉が「こんな時は粥(かゆ)が食いたいね」
そうしたら翌朝が白粥に漬物。それが「チョロギ」の漬物だった。赤く染まっていた。恥かしい話だが日本では東北地方を中心に栽培されているというのに、初対面が北京でとは妙な成り行きだった。実家は秋田の農家なのに、隣近所でも栽培していなかった。
高さ60cmほどに育ち、6月~7月頃に薄い青紫の花を咲かせる。10月~11月頃に根にできる塊茎を収穫し食用とする。 Chinese artichoke∥Japanese artichoke∥Stachys sieboldii Miq.
シソ科の多年草。地下にできる塊茎を食用にする。中国の原産で水湿地を好み、日本には元禄年間(1688‐1704)に入ったらしく《農業全書》に最初の記載がある。
和名は朝鮮を経て入ってきたため、朝鮮語のジロイ(ミミズ)の転訛といわれている。
19世紀になってヨーロッパに、20世紀になってアメリカに入ったといわれる。夏から秋に地下茎が伸び、その先端に径約1.5cmで長さ約3cmの白色で駐質の細長い塊茎をつける。
塊茎には数個の輪状のくびれがある。シソや梅酢に漬けて赤く色をつけ、黒豆に混ぜて正月料理としたり祝儀用に使う。中国では風邪や咳止めにも利用される。平岡達也(世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービス)
以下は「ウィキペディア」による。漢字表記は多数ある。塊茎が蚕の姿に似ていることから「草石蚕」と書かれたり、音から「丁呂木」「丁梠木」と書かれたりする。祝い事の際に食べる場合、縁起をかついで「長老木」「長老喜」「長老貴」「千代呂木」などと書かれることもある。
東北地方のほか京都など西の各地でも栽培されている。西日本での収穫期は東北よりもやや遅く、12月頃になる。その形からネジ芋、法螺芋と呼ばれることもある。
塊茎は長さ1~3cm程度の巻貝のような形をしており、泥を落とすと白い。この塊茎を塩漬けにしたり茹でたりして食べる。ゆり根に似た食感と生姜のようにピリッと辛い味がする。
塩漬けの場合、4~5日ほど漬けた後に梅酢やシソ酢に漬けて赤い色をつけることが多い。この赤く漬けたチョロギは、正月のおせち料理によく用いられる。おせちではそのまま単品として用いられるほか、黒豆を煮たものに添えて供されることも多い。
その他の調理法としては、天ぷら、吸い物の具などが挙げられる。チョロギは中国からヨーロッパにも伝わり、フランスでも食用とされる。フランスではクリーム煮やサラダとして食べることがある。
フランスでjaponaise(ジャポネーゼ、日本風)と名前に付く料理には、なぜか必ず付け合せにチョロギを盛り付ける。
稀に、チョロギは魚との食いあわせが悪いと言われることがある。「本草綱目」(著者:李時珍)には「徐風破血、下気精神」とあり、外からの病の侵入から身体を守り、血の滞りを治し、気を静め精神を安定させる効果があるとされている。
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