2078 「戸石崩れ」の地を歩く 古沢襄

八月になったら信州の一人旅をしようかと考えている。真夏の旅と言われるかもしれないが、高原の信州はそろそろ秋の気配が立つ。朝晩は涼しくて気持ちがいい。
きっかけは「山の詩情 ー静寂の中でー」と題した秋山洋次郎さんの写真集。
あふれる詩情漂う山・燕岳
ずっと遠くの氷河
その山のもつ優雅さは
しみじみ心に染みる
花崗岩からなる群の奇観は
烈日にさらされ
一日一日と
その姿を変えているのだろう
北アルプスを中心とした山の写真集だが、岩手県の沢内村長だった加藤昭男さん(故人)の久子夫人から送って頂いた。長男のお嫁さんの実家(母方)が信州の上田市で、秋山姓だという話は聞いていた。
秋山さんは高校教師をやめた後、お母さんの介護をやりながら、山の写真を撮り歩いて、昨年四月にまとめて写真集を出した。久子夫人からは「秋山家の庭にはたくさんのバラが植えられていて、孫たちはおじいちゃんの家には綺麗なバラ園があるよ、言っております」と添え書きがあった。
秋山洋次郎さんは心優しき人なのであろう。写真や詩から、それが伝わってくる。私と同じ旧制上田中学の卒業生かもしれない。秋山さんの住むところは小県郡神科村といった。昭和三十二年に上田市に編入、上田市上野となっている。
上田市に住む者は北に迫ってくる太郎山をみて過ごす。私の母や従姉は街中から歩いて太郎山の麓にある上田北校という小学校に通ったものである。神科村は東太郎山に位置するが、何といっても有名なのは戸石城の存在であろう。
「真田一族」の著者である小林計一郎氏は「戸石城はいまの上田市街の北東にある山城で、東は神川(かんがわ)にのぞむ崖、西もけわしく、山上は広大で、要害堅固であった」と書いている。この城は信濃一の猛将といわれた村上義清が築いた。
天文十九年(1550)夏、信濃制覇を目指す武田信玄は大軍を率いて戸石城に殺到した。「高白斎記」には「長窪(武田本陣)の陣所の上、辰巳の方に黒雲の中に赤雲立ち、西の雲先なびく」とある。赤雲は凶兆である。無敵の武田軍にも動揺が走った。
攻囲一ヶ月に及んだ武田の戸石城攻めは、秋に入って陣を捨てて撤退することになった。武田軍は横田備中守が討ち死、千余の戦死者を出して、信玄にとって生涯に数少ない敗戦となった。これが有名な「戸石崩れ」である。山頂まで登る体力がないが、東太郎山の山景は写真に納めてきたい。
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