夏目漱石の小説に、『三四郎』がある。三四郎は九州の青年で、東京帝国大学の受験に合格して、上京するところから始まっている。
車中に途中から、水蜜桃を好む中年男があたふたと乗り込んできて、三四郎の前に座る。
三四郎と言葉を交して、三四郎が「日本は日露戦争に勝ったから、これからますます発展してゆくでしよう」というと、中年男がぽそっと、「いや、亡びるね」という。
漱石はこの作品を、日露戦争が終わった三年後に発表した。だが、中年男に「亡びるね」といわせたか、最後まで説明していない。
しかし、二〇〇八年の日本に生きる私には、痛いほどよく分かる。
たしかに、日本は日露戦争に勝って一等国となった。国民が団結して日露戦争にかろうじて勝ったのは、明治三十七年だった。
幕末に黒船が浦賀湾に現われると、日本は誤れば西洋の列強によって植民地化される脅威にさらされた。これは深刻なものだった。
先人は洋夷に対抗するために、国を挙げて西洋の技術と、制度を身につけることに努めた。このために、日本だけがアジアのなかで明治維新という偉業を成し遂げて、近代化することに成功し、白人が制覇していた世界で、短時間で列強のなかに伍することができた。
私たちは東洋健兒として、万丈の気を吐いた。日本がロシアに敗れていたとすれば、日本だけでなく、すでに半植民地となっていた中国も、イギリス、フランスによってベトナムや、マレー半島の領土を蚕食されていたタイも独立を失い、今日でも全世界を白人が支配していたはずである。
日本が日露戦争に勝ったのは、いうまでもなく洋化につとめた成果だった。
ところが、その後、西洋を模倣することに熱中するあまり、和魂洋才を掲げて明治維新の大業を成し遂げたのに、しだいに文化が蝕まれるようになった。
漱石は欧化が進んでゆき、私たちが日本の魂を失ってゆくことを憂いたと思う。
明治以後の日本の文化は、深い傷を負った。明治が明けると、日本の悲願は不平等条約を改正することだった。横浜や、神戸に西洋の軍隊が進駐し、日本は西洋人に対する裁判権を持たなかった。
先人たちは富国強兵に取り組んだ。いま直立不動の姿勢をとるようになったのは、フランスによる軍事教練のためだ。それまでは、前屈みで立った。私たちは摺り足で歩いたのに、馬のようにコツコツと歩くようになった。
洋式軍隊を育成することによって、日清、日露戦争に勝った。学校唱歌も分列行進が下手だったので、フランス教官が幼時からリズム感を養うために、西洋唱歌を教えるように勧告したことによる。
私は学校唱歌を聴くたびに、明治からの国民の労苦と、朝鮮半島と満州の大地を鮮血に染めて散った若者たちを想って、胸が熱くなる。
外国の元首を迎えて催される宮中晩餐会では、フランス料理が供される。世界の主要国は、イギリス、フランス、中国であれ、自国料理をもって持て成す。アメリカでさえ、アメリカ料理だ。
不平等条約を改正するためには、日本が西洋並みの国であることを示さねばならなかった。そのためのフランス料理だった。
いま、多くの日本の男たちが、擬い物の西洋人になった。日本は亡びようとしている。
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