2120 外国人拒否の日本人学校 渡部亮次郎

主として日本人ビジネスマンが外国に赴任した時、子弟を入学させるための日本人学校は2005年現在、50カ国・地域に85校設置されている。他に現地の学校やインターナショナル・スクールに通う日本人児童生徒を対象にした補習校は54カ国に185校が設置されている(文部科学省調べ)。
これらの学校では入学資格が日本人に限られていて、入学を希望する外国籍の児童生徒は少なからず居る、というのに排除されている。全てを調べたわけではないが、こういう国はどうも日本だけらしい。
日本人学校の始まりは昭和31(1956)年、タイのバンコクから始まった。補習校は昭和33(1958)年、ワシントンDCが始まり。外務省から文部科学省に出向して国際教育課長をしている手塚義雅氏によると今、再検討が迫られている。
昭和30年代から40年代にかけての日本経済の高度成長期に海外に赴任するビジネスマンと同伴する子弟が急増した。当時はこれら子弟に対する現地の教育施設は貧弱で、殆どの子供は現地校又はインターナショナル・スクールに通わざるを得なかった。
逆にこうした後、帰国するいわゆる帰国子女の受け入れ態勢も不十分だったので、昭和37(1962)年になって政府が腰を挙げ、まず外務省が日本人教員の派遣を開始した。
話が前後するが、これら在外教育施設は政府運営ではない。一般的には現地の日本人会が主体となって設置され、運営は日本人会代表、学校長、在外公館員(大使館・総領事館員)、保護者代表などからなる学校運営委員会によって行われる。私立学校なわけだ。
これに対する政府の支援は文部科学省が教員の派遣と教科書の無料配布を、外務省が校舎の借り上げ料、現地採用教員への謝金への援助を受け持っている。派遣教員は平成17年度現在54カ国・地域に1,333人に達している。
先に書いたように政府が教員の派遣で海外子女教育に支援を始めたのは昭和37(1962)年で、在留邦人の把握が容易だったことから全てを外務省が担当したが、昭和56(1981)年からは教員派遣業務が文部省(当時)に移管された。
このような経緯をたどったために現在でも多くの日本人学校では、その対象を「邦人児童生徒」特に「帰国を前提とする邦人児童生徒」に限定している。
そのために外国籍しかない子供は入学することが不可能である(補習校では外国人児童生徒を受け入れているところも多い)。これは特異だそうだ。
アジアでは特にそうだが、日本語を話せるから日本人学校に入りたいという外国籍の子供が少なからずいるという話を聞くが、門は閉ざされたままである。
手塚課長によると、在留日本人を多く滞在させているアジアのある国では、政府が認可した外国人学校は24校あるが、外国籍の児童生徒を拒んでいるのは日本人学校だけだ。
日本政府としては私立学校である以上、運営に口出しは今のところできない。また外国人児童生徒が入学すれば、日本人保護者から教育水準の維持や教員確保に関する不安など様々な問題は出てくるであろう。
しかし、手塚課長は指摘する。「今後、日本は経済面でも人口面でも相対的な国力の低下は免れないと思われるが、そうであればこそ、知日派、親日派の外国人を日本人学校で育成する事は国益に繋がる」(霞関会会報2006年4月号参照)。
おそらくどこの日本人会もいまさら政府が口出しするというのなら運営の全てに責任を持ってやってくれというに違いない。困難を克服して設置し運営してきた矜持があるからである。
そうした現場を多少経験した私としてはまだ頭が整理できないが、昭和16年、アメリカと戦争を始めた日本、が英語の使用を一切禁じたのに対し、アメリカは翌年から陸軍と海軍がそれぞれ日本語学校を設置したことを思い出した。設置の理由が日本人捕虜の取調べだった。2006.04.02 (再掲)手塚氏は昨年、外務省に帰り、ロスアンジェルス総領事館に筆頭領事として勤務中。日本人学校のその後の状況を渡部は把握していない。
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コメント

  1. くま より:

    日本人学校でも間口の広狭は、異なるようです。
    仕事の都合で、台湾や大陸に参りますが、時として家族を帯同せざるを得ません。台北日本人小学校はいつでもウェルカムで、手馴れているという印象さえ受けました。一方、中国ではそうはいきません。関係者ははっきり申しませんが、お国の事情もあって間口が極めて狭いようです。もっとも、中国某地の日本人小学校の対応はそれにしてもというほど杓子定規で冷たいものでしたけど。彼の地は日本人会の態度も非常にアレですので、朱に交われば何なのかもしれません。

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