2159 井泉をイセンと読む江戸っ子 渡部亮次郎

私は少年時代、砂糖を舐めすぎて脚気(ビタミンB1欠乏症)になり、心臓が危なくなったことがある。そこで夏はできるだけ「とんかつ」を「井泉」で食べ、ビタミンB1を補うようにしている。
砂糖は消化にビタミンB1を大量に消費する。疲労回復に特段の効果のある砂糖だが舐めすぎるとビタミンB1欠乏症の脚気になる危険があるわけだ。
そこへ行くととんかつの豚肉はビタミンB1を多量に含んでいるから、夏バテ気味のときはとんかつ屋に走るわけだ。8月16日の病院で待たされ続けたので、上野の「井泉」本店に行ってきた。
ここは「お箸で切れる柔らかなとんかつ」という初代石坂一雄の言葉とともに、昭和5年上野の地に“井泉”は誕生した。爾来,のれん分けした人、独立して行った人には「井泉」か「泉」の屋号が与えられる。今や主たる都市には暖簾が展開している。
ところで「井泉」の読み方である。創業者石坂一雄は俳句読みの趣味人でもあったので、有名な俳人萩原井泉水にちなんで「井泉=せいせん」を店の名前とした。1929年、今から約80年前のことだ。
ところが当時、「豚(とん)カツレツ=とんかつ」を食する江戸っ子で「井泉」を「せいせん」と読める趣味人は極めて少なかったらしく、客は誰もが「いせん」と呼んだ。「ヒル飯ゃイセンにしようぜ」と「いせん」が定着してしまった。
「荒城の月」の作詞者土井(つちい)晩翠がいくら「土井(どい)じゃない」と主張しても「つちいばんすい」とよんでもらえず、晩年はとうとう「どいばんすい」を認めたように。私が「せいせん閉口」と言っても家人は知らん振りをする。
ギヨエテというかゲーテみたいだ。ショパンをチョピンを言うが如し。江戸っ子は気風(きっぷ)はともかく学の方では田舎ものが多かったらしい。井泉をいせんと読んだのでは明らかな「湯桶読み」で「学」のある人はいちいち指摘して厭がられた。それで沈黙。無学派が「いせん」にしてしまって80年が過ぎた。
萩原井泉水(俳人)はぎわらせいせんすい/Hagiwara Seisennsui 1884~1976 東京都生まれ。名は藤吉。別号に愛桜、随翁がある。
河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加し、「層雲」を創刊する。句集『原泉』『長流』がある。門人に種田山頭火・尾崎放哉らがいる
湯桶読み。湯桶のように,漢字二字の熟語の上の字をお「訓」で、下を「音」で読む読み方。他に消印(けしいん)、手本(てほん)など、反対に「重箱読み」というのがある。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(8月14日現在2161本)

コメント

タイトルとURLをコピーしました