2163 北京五輪の総括を始めよう 宮崎正弘

愛国ナショナリズムの瞬間的爆発はたしかにあった。
開会式のショーは長すぎた。
CGや口パク少女などインチキが多かった。批判が集中して、チャンイーモウ監督も散々だが、小生にとって一番気になったのは56の民族が「中華民族」として宥和し、これからの中華文明文化を象徴するとして民族色豊かな舞踏を演じたあと、その踊り子の少女達が、じつは漢族だったという、最初から予測されたことだが、壮大なインチキである。
つまり「中華民族」なる架空の概念が、政治的スローガンでしかないことが、この行為によって白日の下にさらされた。
漢族が主流の漢族のための五輪であり、少数民族は北京五輪に価値を認めない事実も鮮明になった。
五輪前にチベット、ウィグルへの弾圧は凄絶を極めたが、彼らを一元的に「五輪を妨害するテロリスト」だと詭弁を弄しても、海外メディアは北京の説明に冷淡だった。 
頻発したテロ事件、爆破騒動に中国への同情心が沸かなかったのも、不思議と言えば不思議である。
インチキが成立するのは政治と民衆との間に広がる「中国的闇」である。
五輪のチケット一つをみても、はじめからインチキの花盛りだった。ネットオークションによるチケットの詐欺、売れ残りを公務員らを動員しての埋め合わせもうまく行かない。テレビ中継が全てを証明した。
中国人選手のでない競技では席がガラガラではないか。
 
あらゆる中国の社会がこうなのである。騙す方が勝ちで騙された方が馬鹿なのだ。
インチキ商品、コピィ商品、著作権侵害、海賊行為、無法。だから五輪のインチキ・チケットを印刷し、売りさばいて何が悪いか、という感覚。さすがに偽札が通貨発行量の弐割近いくにのことだけはなる。
日本の旅行代理店の被害は相当だろうと想像できるし、JALもANAも、中国路線の廃止、中断、減便に追い込まれるだろう。
さて閉幕式も終わらないのに五輪をはやばやと総括するのは時期尚早かも知れないが、愛国、中華、大国くっき、百年の夢などの華々しい標語などは一体、どうなるか?
五輪を成功裏に終わらせたことで、中国は「大国」の自信を背景に今後、世界史の主役となりおおせるのか?
開会式こそ中国人のモラルはまともに見えたが日が経つにつれ、花火のあとのように、モラルが縮んでいった。
見せかけのモラル向上、束の間のボランティア精神。空席をうめるために動員された中国人団体は、日本チームを絶対に応援しなかった。
金メダルを期待された障害物競走のチャンピオン=劉!)が土壇場でフライングの後、棄権したときは「死ね」「賞金泥棒」「CMですぎ」などと悪罵のメッセージが書き込まれた。
劉!)が「精神的圧力に耐えられない」と心理的に追い込まれた様子を訴える記事を、開会前にヘラルドトリビューンで読んで、中国の心理的環境の異常さを忖度した。
いったん敗者になると、たとえ英雄であっても、「水に落ちた犬を打て」の中国的生き方が如実に生きていたのである。
排外主義的ショービニズムは、何回か指摘したように「義和団の乱」に行き着く。
中国人が文明的に遅れ、経済的に劣勢であることを、歴史の長さという唯一の中華的矜持で克服しようとしたとき、擬制ナショナリズムの瞬間的爆発が起こる。
99年と01年におきた反米暴動も、05年の反日運動も、08年の反仏騒ぎも、全てはこれである。
ユーゴスラビア中国大使館誤爆と海南島事件では、北京の米国大使館に火炎瓶が投げ込まれ、アメリカ大使は命からがら大使館から逃げだした。
反日暴動は04年済南サッカーでのブーイングから北京での暴動へと至ったが、日本の勝利を「インチキで勝てた」などと絶対に自己の劣位を認めないことが動機である。北京のサッカー競技場には二千人の日本人サポーターらが夜中まで取り残され、大使館員らは邦人保護を抛擲して先に逃げた。
中国人の民度に低さを嘆いたものだったが、本質は北京五輪でも変わらなかったように思える。
 
そして今後、中国は五輪の成功を背に民主化する? 全体主義一党独裁の体制が覆るシナリオは、百分の一の確率として存在はしても、実現性は希薄であろう。
なによりもメインスタジアムが象徴して居るではないか。あれは庶民をこれからも鳥かごに閉じこめておきますよ、というメッセージでもあるからである。
    
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