2181 日朝「密室利権外交」小史(下) 伊勢雅臣

■1.「局長、あなたがやっているのは外交ではない」■
平成14(2002)年9月17日、小泉純一郎首相が平壌で金正日と会談し、その結果、10月15日に拉致被害者5人の帰国が実現した。地村夫妻、蓮池夫妻、曽我ひとみさんである。
帰国から10日目の10月24日、5人の処遇についての会議が開かれた。帰国について北朝鮮側と交渉してきた田中均・外務省アジア大洋州局長は、「5人をいったん平壌に戻し、家族を連れて帰国させる」と主張した。
田中は、北朝鮮側と「2週間程度の一時帰国」という了解をしていたようだ。5人の日程には、おみやげの買い物時間も入っていた。「そうした約束はなかった」と田中は後に国会で答弁しているが、言葉通り受け止める人は少なかっただろう。
安倍晋三・官房副長官と中山恭子・内閣参与(現在は拉致問題も担当する特命担当大臣)は、「5人を戻すべきでない」と主張した。一度戻してしまったら、北朝鮮は5人を脅して「平壌で暮らしたい。国交正常化すれば自由に行き来ができます」などと言わせて、「人質」扱いすることは目に見えている。
田中は「日朝間の信頼関係が崩れてしまう」と抵抗した。「日朝間の信頼」とは、田中がこれまで交渉してきたミスターXなる謎の人物との信頼関係である。「交渉相手のXを失います」と続けた。
中山参与は、「それなら、(交渉を)できる人にかわってもらえばいい」と応酬した。そしてさらに厳しい言葉を口にした。
局長、あなたがやっているのは外交ではない。北朝鮮へのお願いだ。外交官なら、お願いをやめて外交をやりなさい。
中山参与は、田中が謎の人物と密室の中で経済援助を手みやげに「お願い」をする「密室利権外交」そのものを否定したのである。
■2.田中とミスターXの相互テスト■
田中がミスターXと初めて会ったのは、平成13(2001)年秋だった。Xは「金正日将軍の指示で、自分が日本との連絡と交渉を担当することになった」と自己紹介した。
名前と肩書きを 伝えたが、絶対に公表しないでほしい、という。さらに「自分は金正日将軍の直接の指示を受けている。将軍に直接報告できる」と語った。
田中はXの力をテストするために、北朝鮮に拘束されている 元日本経済新聞記者の釈放を求めた。Xは「帰すのは可能だが、滞在費を支払って欲しい。数千万円になる」と答えた。翌年2月12日に元記者は釈放された。同時に外務省が機密費から「滞在費」を捻出したとの情報が流れた。
Xもまた田中の力量を試した。朝鮮総連の傘下にある「朝銀」の捜査に関して、総連本部の家宅捜査や最高実力者の逮捕を避けられないか、と聞いた。
逮捕は時間の問題と見られていたが、なぜか行われなかった。家宅捜査も形だけのものになった。Xは平壌の幹部に「彼(田中)はすごい。小泉を動かしている」と語った。
田中はXに日本の官僚の力を説いた。
北朝鮮が日朝正常化交渉で失敗したのは、政治家に頼んだからである。日本では官僚が力を持っている。私のような力のある官僚に頼まないと、日朝正常化の問題は解決しない。
北朝鮮ははじめに金丸信を引き込んで日朝国交正常化を急ぎ、巨額の経済援助で難局を乗り切ろうとして失敗したのだが、今度は私を相手にせよ、と田中は言ったのである。
■3.日朝国交正常化へのそれぞれの思惑■
Xは北朝鮮の秘密警察「国家安全保衛部」に所属しており、日朝正常化交渉を監視し、金正日に直接報告する立場にいた。
当時、党の工作機関「統一戦線部」のファン・チョルと同部の担当書記キム・ヨンスンが対日交渉を担当し、金丸信との密室外交などを展開していたのだが、この2人は日本からの賄賂を横領して私腹を肥やしていた。Xはそれを徹底して洗い出し、2人を失脚させて、自ら名乗りを上げて、対日外交を引き継いだのであった。
ミスターXと田中が接触を始めた頃、金正日書記は困り果てていた。ブッシュ大統領は北朝鮮を「悪の枢軸」と非難し、テロ支援国家への先制攻撃さえ口に出していた。
また2002(平成14)年12月に予定されている韓国大統領選挙では保守派の勝利が間違いないと見られていた。
そうなると、金大中大統領が首脳会談実現のために、金正日に5億ドル(約 550億円)以上の現金を払っていた事実が発覚し、北朝鮮への援助が全面的に打ち切られる恐れがあった。
米国と韓国がダメなら、日本の財布をあてにするしかない。そうした金正日の意向を察して、Xは「必ず1年以内に日本との関係改善を実現させます」と「将軍様」に約束したのである。
一方、小泉政権も田中真紀子外相の更迭で、79パーセントあった支持率が40パーセント台に急落し、危機に直面していた。
外務省も機密費や経費の不正使用などのスキャンダルで、国民の信頼は地に落ちていた。ある外務省高官によれば、「小泉首相と田中アジア大洋州局長らは、一発逆転のホームランを狙った」。
こうして日朝それぞれの思惑が後押しして、田中とXとの間で、国交正常化に向けた密室での打合せが始められたのである。
■4.90億ドルの覚書■
Xは、日朝首脳会談で小泉首相が持参する「お土産」について「確実な証拠」を求めた。北朝鮮の高官筋によると、日朝国交正常化は2003(平成15)年1月1日から、経済協力の金額は「毎年15億ドル6年間」、1兆円ほどにも上るという「覚書」をXは日本側から受け取った。Xはその「覚書」を、小泉首相名にして欲しいと要求したが、それは実現しなかったという。
もう一つ大きな問題があった。拉致問題である。拉致被害者を帰して貰わないと、日本国民は納得しない。しかも本来の外交なら、拉致は国家主権の侵害であり、国際法上は「原状回復」すなわち「拉致被害者全員の帰国」を求めなければならない。
しかし、Xは、拉致の事実と生存者の存在は認めたが、帰国させることはできないとの立場を譲らなかった。そこで「安否情報の確認」という線での妥協が成立した。
こうしてミスターXと田中は「密室利権外交」を通じて「小泉訪朝」という歴史的イベントの筋書きを書き上げた。この頃が2人の得意の絶頂期であった。
■5.アーミテージ国務副長官の怒り■
実は田中が「密室利権外交」で考慮していない側面がもう二つあった。日米関係と北朝鮮の核開発問題である。田中は同盟国アメリカにまったく相談も連絡さえもせずにXとの交渉を進めていた。「事前に(情報が米国に)漏れれば、(米政府によって)つぶれる」と判断していた。
米国側が小泉訪朝を知らされたのは、わずか20日ほど前の8月27日であった。アーミテージ国務副長官が首相官邸を訪れた際に、小泉首相が9月17日に平壌で日朝首脳会談を行う、と伝えたのである。
アーミテージ副長官は親日家で、日米関係が緊張した際にも常に「日本はアメリカにとって、最も大切な国である」と説き続けてくれていた。それなのに、こんな大事な事を事前に相談もなく、今さら通告してくる日本のやり方に、面子を潰された 副長官は怒った。大統領から解任されることも覚悟した。
アーミテージ副長官は米大使館に飛んで帰り、パウエル国務長官に電話して、ブッシュ大統領に事態を報告して貰った。大統領の判断を仰いだ上で、副長官は外務省首脳に明確に伝えた。
核問題が解決しないのに、正常化はしないでほしい。交渉は慎重に進めるべきだ。日米は、同盟国ではないのか。今後は、事前にきちんと連絡して欲しい。
■6.日米同盟を破局から救った小泉首相の変わり身■
田中局長は米国側の怒りに驚いて、急遽説明のためにワシントンに飛んだ。そこで旧知の重村智計氏に「核問題は米国と北朝鮮の問題ではないのか」と語った。
北朝鮮のミサイルは、日本には届くが、アメリカには届かない。北朝鮮の核問題は米国よりもまず日本が心配しなければならない問題である。外務省高官がこんな基礎的な事を知らないはずはない。
とすれば、この人物は、日本国民の生命・安全よりも、自分の業績を優先していたことになる。こんな人物が得体の知れないXと「密室利権外交」を進めていたのである。
小泉首相は、訪朝の5日前の9月12日、国連総会出席を利用して、ブッシュ大統領と会談した。ブッシュ大統領は「日本が経済協力資金を提供したら、それは核開発に回されることになる。北朝鮮が核開発を完全に放棄するまでは、正常化は困る」と厳しい口調で言った。
カンの鋭い小泉首相は、このまま日朝正常化に踏み切ったら、日米同盟が崩壊すると悟った。「核問題が解決しない限り、日朝が国交正常化することはない」と述べた。この変わり身の速さが、日米関係を救った。
■7.「8人死亡」情報の衝撃■
2002(平成14)年9月17日、秋晴れのもと、小泉首相一行は平壌の空港に到着した。午前11時からの首脳会談に先立って、アジア局長どうしの事前会談が行われた。
この席で、5人生存8人死亡の安否情報が書かれた1枚の書類が、日本側に手渡された。これを手にした田中局長は、半ば放心状態であったという。「8人死亡」では国民が納得しない。
北朝鮮側の情報によると、日本側から「生きている拉致被害者を4人から5人程度出せばいい。後は正常化してから段階的に解決すればいい」と言ってきたそうだ。ここから、北朝鮮側は「拉致被害者を全員出さなくとも、国交正常化できる」と判断したという。
もともと拉致問題を認めること自体に、工作機関「統一戦線 部」や秘密警察「国家安全保衛部」は反対していた。そこに「4人から5人程度出せばよい」と言われたので、5人生存とし、残りの8人は死亡と急遽でっち上げて、終わりにしようとしたのである。
だから、1995年に日本赤軍リーダーの田宮高麿が「(拉致された)有本さんらは元気だ」と語っているのに、 1988年に死亡したとしているなど、辻褄の合わない点が少なくなかった。
しかし、田中にとってみれば、「5人生存」は期待していたが、「8人死亡」とまで言ってきたのは、予想外だった。
実は「全員の安否情報」を北朝鮮に要求していたのは、小泉首相だった。首相は、田中-ミスターXとは別のルートを使って、「全員の安否情報が出なければ、小泉内閣は倒れる」と北朝鮮側に要求していたのである。
この頃には、小泉首相は米国とのやりとりなどから、田中に乗せられている危険を感じていたのかも知れない。
■8.密室利権外交を阻止するのは国民世論の役割■
「8人死亡」の情報に日本国民は激昂し、日朝国交正常化どころではなくなった。こうして、田中がXとの「密室利権外交」で練り上げたシナリオは頓挫した。
田中のシナリオ通り進行したら、どうなっていただろう。拉致被害者5人は再び北朝鮮に戻され、秘密警察の脅迫のもとで、「平壌で暮らしたい」などと言わされていたであろう。
1兆円の経済支援で、金正日政権は核開発を加速しただろう。同時に 日米同盟は危機に瀕し、日本は北朝鮮の核の脅威に今以上に曝されることになったはずだ。
そうした事態を防いだのは、「8人死亡」情報に怒った日本国民の世論であった。先に金丸信の密室利権外交が「戦後45年間の謝罪と補償」まで約束して、「土下座外交」と世論の批判を浴びて挫折したのと、同じ構図である。
北朝鮮のような独裁国家との外交においては、一部の政治家や外務官僚が賄賂や外交功績などを餌に一本釣りされて、「密室利権外交」に引きずりこまれやすい。民主国家において、それを阻止するのは国民世論の役割である。
■9.金丸信、田中均の後継者は跡を絶たない■
最近でも自民党の加藤紘一元幹事長が、「当時官房副長官だった安倍晋三前首相を中心に(拉致被害者を)返すべきでないと決めたことが日朝間で拉致問題を打開できない理由だ。返していれば『じゃあまた来てください』と何度も何度も交流していたと思う」と述べた。
発言内容の不当性は拉致被害者の家族会・救う会が抗議声明を出した通りであるが、もう一つ、なぜ今頃、金正日が喜ぶような事を言い出したのか、に注目する必要がある。
加藤は、1995(平成7)年に北朝鮮に50万トン、国内価格にして1千億円ものコメ支援を行った際に、主導役を果たした。当時、加藤の名代として北朝鮮と交渉をしていたのは、元秘書の佐藤三郎であり、佐藤が支援物質の通関業者としての顔も持っていたために、「利権疑惑」を呼んだ。
同時に山崎拓・元自民党副総裁らが中心となって「日朝国交正常化推進議員連盟」を結成して、北朝鮮への制裁解除と対話姿勢への転換を主張し始めた。山崎は朝鮮総連の許宗萬副議長ら幹部と交友があり、朝鮮総連関係者によると「日本の政界の中では数少ないパイプ役」だという。
いずれも、米国のテロ支援国家指定解除を見込んで、金正日将軍様の歓心を買い、「密室利権外交」を再開しようという魂胆であろう。安倍晋三・前首相が「百害あって利権あり」と激しく批判した通りである。
金丸信、田中均の後継者として「密室利権外交」を継承しようとする者は跡を絶たない。
■リンク■
a. JOG(560) 日朝「密室利権外交」小史(上)
 国交正常化を急ぐ金日成に、金丸信は「お国(北朝鮮)は百
億ドルを要求できる」と答えた。
http://archive.mag2.com/0000000699/20080810000000000.html
b. JOG(259) どうする?日朝交渉
 拉致犠牲者8人死亡。それでも国交正常化交渉を進めるべき
なのか? それとも、、、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog259.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 重村智計『外交敗北――日朝首脳会談の真実』★★★、講談社、

2. 産経新聞、H20.07.10、「拉致被害者、北に返すべきだった 
加藤氏発言に抗議声明 家族会・救う会」、東京朝刊
3. 野村旗守編集『北朝鮮利権の真相』★★、宝島社

4. 野村旗守編集 『日朝交渉「敗因」の研究』★★、宝島社
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