2186 UP老編集局長との会話 古沢襄

1980年代後半にニューヨーク、ワシントンを訪れた記憶が甦る。カバンひとつをぶら下げて、米国の代表的通信社の幹部と懇談した。ニューヨークではAP通信社の副社長との昼食懇談だったが、形式的な会話に終始したのだろう、その内容は覚えていない。
最高のもてなしと恩をきせられた魚のステーキが味気がなくて、往生したことだけが記憶に残っている。この当時、日本はバブル経済の絶頂期、今の中国の様な高揚感に包まれていた。その夜、ニューヨークのメキシコ料理店で日本の商社員たちと酒を飲んだが、まさに意気軒昂。日本の富で米国の土地を買いまくる勢いだった。
二、三日後にワシントンに飛んだ。UP通信社の老編集局長とワシントンの小さなフランス料理店でワインを飲みながら、夕方まで懇談したが、その記憶が今でも鮮明に残っている。
お世辞のつもりで「日米戦争の前に松岡洋右外相がニューヨークの摩天楼をみていたら、日独伊三国同盟を結ばなかったろうし、米国と戦争する愚挙もなかった」と私は挨拶代わりに言った。一種の社交辞令。
老編集局長はそれに答えず「ニューヨークやワシントンをみて、これが米国と思ったら間違う。アメリカのバックボーンは中西部にある。農業なんですよ。これが健在であるかぎり、米国にはローマのような衰亡はない」。
「西部のロサンゼルスには行ったこともあるし、二、三日後にはまた行く」と言うと「
ロサンゼルスは大都会だよ」と笑われた。そして真剣な顔になり「メリーランド州なら二時間もあれば行けるから、アナポリスとボルチモアだけは見ておいた方がいい」と勧められた。
アナポリスといえば米海軍兵学校がある程度の知識しかない。米国内で最古の都市で、18世紀からの建築物がチェサピーク湾に面し建つ、絵のような美しい小さな都市だと教えてくれた。そこを見て車で三〇分も行けば、多民族が住むメリーランド州最大の都市・ボルチモアがあるという。
アナポリスにもボルチモアにも、まだ行っていないが、老編集局長との会話だけは心に残った。
東京の丸ビル街だけを見て、これが日本だと思ったら間違う。丸ビル街は日本の顔の一つに過ぎない。東京だって日本の顔の一つに過ぎないのだ。だけど「日本の農村がわが国のバックボーンだ」と言い切る自信は私にはまったくない。
「アメリカのバックボーンは中西部にある」と言い切った老編集局長は自信に満ちていた。そしてバブルがはじけ、日本は深刻な不況期に突入して、自信喪失に陥った。資源高騰、食糧高騰で日本の富は海外に流失し始めた。
農村を犠牲にして、貿易立国の道を突き進んだツケが回ってきていると言ってよい。
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