2188 越南ODA捜査は終結したが 渡部亮次郎

大手建設コンサルタント会社「PIC」によるベトナムでの贈賄事件は東京地検が8月25日、関係者4人と会社を起訴したことで、一連の捜査は終結となる見通し(産経新聞26日付)。
ところでODA=政府開発援助は英語:Official Development Assistance)は、先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。国際貢献の一つである。通称上記英語の頭文字をとってODA。
日本国のODA出資額は2007年において約7,800億円であり、これは金額ベースで、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスについで5位である。
しかも、財務省の財政アンケート調査結果によれば、日本国民はODAを「援助」としか考えず「日本の国際地位を確保するための資金」とは考えず、道路・年金等に次いで「減らすべき予算」第2位に上げられ削減圧力にさらされている。
2005年の実績では2位だった。下がり続けて5位になり、今後どうなって行くか。
国名 実績額(億ドル) 前年比伸び率(%) 国民所得比率(%)
米国     274    35.6   0.22
日本     131    51.2         0.28
イギリス   107   34.8         0.48
フランス   100    17.1         0.47
ドイツ    99   30.7        0.35
オランダ 51 20.2 0.82
イタリア 50 99.9 0.29
対前年度伸び率:前年比増減額/前年実績額に為替変動、インフレ等の変動要因を加味して算出した伸び値
日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (ガリオア) と「占領地域経済復興資金」 (エロア) から約50億ドルのODA援助を受けた。主として食糧だった。
また、カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助された。
1953(昭和28)年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。
こういった経験から、日本がODAを出すようになった現在、対象がダム建設などのインフラ整備に重点を置いたものに偏っていると言われる原因だ。
日本からODAを拠出したのは、1954年にビルマ(現ミャンマー)と結んだ「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてである。
その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続ていくが、初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強かった。1960年代の高度経済成長に入ってから、徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大していく。
1964(昭和39)年(池田内閣)には経済協力開発機構 (OECD) に加盟。1974年には国際協力事業団 (JICA) が設立される。
2001年には日本は世界第1位の拠出額になった。毎年1兆円あまりを様々な国に供与していたが、バブル崩壊と共に縮小しはじめ2007年の順位は、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスと続き、日本は5位に転落。約7,800億円。
それでも日本がODA大国となった理由として、以下の事由が挙げられる。
(1)日本企業進出を円滑にするため。この典型的な例として、中国へのODAが挙げられる。また中国の要人は「感謝」ではなく「評価」という言葉で表現。
中国へのODAに関しては円借款に限り、2007年11月の援助を最後に政府は打ち切った。ただし、ODAのうち無償資金協力と技術協力は引き続き継続されることとなっている。
(2)軍事的貢献に代わる貢献策。日本が軍事的な国際貢献をできないことや、巨額の対米貿易黒字を貯め込んでいることへのアメリカ世論の批判をかわすため、軍事力に代わる国際貢献の手段としてODAに傾倒してきたと考えられる。
(3)対象国に対する市場開拓の意味合い。途上国のインフラ整備を進めることは、市場開拓がしやすくなるなど、日本企業にとっても利益が大きいため、財界の賛同を背景に、赤字財政の中でもODA予算を増加させることができたと考えられる。
日本のODAの問題点として、以下の点がしばしば指摘される。
タイド援助。援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。「ひも付き援助」とも言う。事業を請け負う企業(商社・ゼネコン等)と政治家の癒着が問題視されてきた。
1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国(請負企業)の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていた。
1980年代以降、これらの批判を受け、資材の調達先や工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増加していった。現在では、90%後半がアンタイド援助である。日本企業の受注率も、1993年には29%と減少続けている。
いずれも正常なコスト意識がないので、取引そのものが非常に利益率が高く設定され、仲介する個人・業者がいくらでもコミッションを取れる構造で政商、黒幕と呼ばれる人物や政治家が私服を肥やしてきており、それを税金で大盤振る舞いしているのが現状である。
日本のゼネコンや地元の政治家が私腹を肥やす目的でODAによって不必要な施設が作られ、それによって住民が援助ではなく被害を受ける事例が現在でも多々あるとされる。
2002年にはインドネシアのコトパンジャンダムの建設によって住処を奪われた住民らが、その正当性を巡って受注したゼネコンと日本政府・JBIC・JICAを東京地裁に提訴するに至り、大きなニュースとなった。
非民主的国家に対するODAは、政府決定大綱の「開発途上国における民主化の促進、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う」に違反している。特に、中国は日本からのODAの大半を軍事費へ転用している可能性が高い(中国脅威論)。
ODA供与先は、日本との間で、貿易・直接投資(企業の海外進出)の関連が密接な東アジア、東南アジアの諸国に偏っている。
日本や他国のODAによって作られた建造物等がそこにあったとして、その地域を訪れる日本人・外国人等の出張者や旅行者はそれがODAの産物であることを知らないし、現地の人々も知らない。
ODAの姿が正しく認識されないし、それだから、ODAに対する正しい評価や改善もできない状態である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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