信州真田家の治める川中島は水害の多いところで、被害が大きくなり財政が逼迫、行政にも支障が出るようになった。
真田公(幸弘)の父の代の寛保2(1742)年には大水害で、幕府から1万両を借り入れたほどである。真田公の代になった宝暦五(1755)年の頃、江戸在府のとき、ご親類家中を集めた席で、真田公が仰せになった。
「ご存知のように我が藩は財政難で、先年公儀から1万両を拝借したものの、なかなか改善されない。
しかしながら国許には恩田木工(おんだもく)という者がいて、家老職の末席だが、歳は若い(40歳)ものの財務を任せれば財政再建に力を発揮しよう。私も若いし、彼も若いので、年長者は恩田の抜擢には同意しないだろう。どうか年長者を説得してもらえまいか」
親類の返事は好意的であった。
「財政難のことは心配しています。幕府から借り入れをせざるを得ないほどで、真田公の難儀をお察しします。国許に財政再建に当たらせるべき者がいるとのことで、お眼鏡にかなったのは何よりです。私どもへのご依頼はお任せください。その恩田木工とやらをさっそく江戸にお呼びなさるのがいいでしょう」
●命を差し出し、挙国一致へ
真田公は早速、早飛脚を仕立てた。
「家老職をはじめ緒役人は、月番の一人以外を除いて恩田木工とともに出府すべし」
何事かと江戸に上れば、親類家中が待ち構えており、その長老格がこう挨拶する。
「藩財政の再建を恩田木工に任せるから、辞退することなく、しっかり取り組んでほしい。家老および諸役人は恩田木工の指図を受けてしっかり努めてほしい。真田公もその思いであり、我々と相談の上の申し付けである」
家老、諸役人は内心では納得しないものの「かしこまりました」と申し上げた。
恩田木工がこのときに進み出て、頭を下げてこう発言する。
「すべてのご親類様のご相談にて拙者に役儀を仰せ付けれしこと、まことにありがたき幸せに存じますが、恐れ入りながら私にはこの役儀は勤まりそうもなく、どうか御免くだされたくお願い申し上げます」
長老格が答えて曰く、
「藩財政が逼迫していることは公儀まで知れ渡っている。たとえ立ち直らなくても、そのほうの失敗とはならないから、まずはやってみることだ。勤まらない訳が特にあるのなら別だが、今辞退するのは却って不忠である。まずは勤めてみよ」と厳しくおっしゃる。
木工曰く、「この上辞退を申し上げては却って不忠との御意、恐れ入りました。何分にもかしこまりました」と受諾する。
長老「仕事を進めるうえでなんぞ願いの筋があれば、この席にて遠慮なく申せ」
木工「ありがたき幸せに存じます。さればお願い申し上げます。このお役目をあい勤めるに当たっては、拙者の申し上げることを『それはならぬ』と反対するものがあれば、とても勤まりませんので、大先輩をはじめ諸役人には、拙者の申すことを何事によらず反対しないという書付をいただきたい。拙者も、不忠があればいかような処罰も恨みません、と誓詞を差し出します」
長老は「それはもっともなこと」と理解を示し、一同も「かしこまり奉り候」と了承した。(つづく)
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