2236 生きる心と人生 加瀬英明

高齢化社会という言葉を聞かない日がないほど、男女ともに平均寿命が大きく伸びるようになった。
 
ついこのあいだまで「人生五十年」といわれたが、渋谷駅前に建っている銅像の忠犬ハチ公の主人が死んだ大正十四(一九二五)年では、日本の男性の平均寿命は四十二歳でしかなかった。神はよい人ほど早く天に召すというが、私が好きな東北出身の作家の宮沢賢治や、九州出身の画家の古賀春江は三十代で他界している。
今日のように医療が進んでいたら、きっと宮沢も、古賀も高齢に達するまで生きただろう。だが、あのように若くして煌めくような作品を、のこしただろうかと思う。人生が短かったから、誰もが必死になって生きたのだった。
五十年も前だったら、七十代はじめで死んだら、天寿を全うしたのだったのに、今では「まだ若いのに」といわれる。昭和三十年には、平均寿命は六十三歳だった。
今日は社会環境が安穏として、物が余って豊かであり、長命を約束されている。私たちはあらゆることが弛緩して、緊張感を欠いた時代に生きるようになっている。
毎年、自殺者が三万人を超えるようになっているが、所得格差や、生活苦がもたらしているといわれる。私はしばらく前にアメリカの学者による世界における自殺を考察した秀逸な論文を読んだが、イギリス、ドイツ、ソ連、日本をはじめとして国土が戦場になった時には自殺者が大きく減り、スカンジナビア諸国のように平和で、福祉が充実した国々では、自殺者が増えるというものだった。
自殺者が増えているというのは、泰平の世の証しなのだろう。たしかに日本全土が空襲や艦砲射撃に曝されて、食糧が乏しかった時には、敵襲から身を守り、食べるのに懸命だったから、自殺する者は稀だった。
死の恐怖にさらされている社会では、出生率が高くなる。だから貧しい国ほど、人口が増えてゆく。物が溢れ、医療が充実して危機感が失われると、少子化が進むようになる。
今日の若者は老人がまるで不老不死になったように長生きするし、核家族化によって死を身近に体験する機会がないから、生きることの厳しさを感じられないでいる。
家族を見失った世の中
そして自己本位になったために、人と人とのあいだの繋がりが弱まって、人の死を悲しむ心が薄れている。家族であれ友人であれ、共通体験を分かち合う相手がいなくなった。自分の痛みしか理解できないので、人の心を察することがない。
多くの若者にとって人生が楽しいものでなければならず、幸せになる権利があると思っている。テレビが虚ろな笑いに充ちているために、そのような幻想をまき散らしているが、いまの享楽に溺れた、日本のおぞましい時代精神をよく現わしている。
ついこのあいだまでは、耐えることが美しかった。仁侠映画で主人公が自分を抑えに抑えて、ついに爆発する場が共感を呼んだ。先の大戦に当たって開戦の詔勅が、「事既ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ爲、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」と宣べているのは、民族の真情に訴えていた。
演歌は耐える切なさを歌っていた。ついこのあいだまでは、日本のどこへ行っても演歌の心が目に見えない微粒子のように、空気中に飛びかっていたものだった。
私たち日本人は哲学的な民族とも、宗教的な民族であるともいえない。日本文化は美への憧れが芯となっていて、叙情的である。
日本では人の行為は善悪や、損得のかわりに、美しいか、美しくないかという尺度によって計られてきた。人生ははかないからこそ、美しくなければならなかった。美意識が生きかたの規範をつくっていた。世界のなかで人の心や行動が美によって計られるのは、日本だけである。
女のなまめかしさ、つやっぽさや、色気も視覚的な美しさとともに、内面から発するものだった。今でも日本で男らしいといえば、西洋や中国や朝鮮と違って、外面ではなく内面をいう。
誰もが自己を否定しなければならなかった。忍耐心が人々を律した。人はつねに謙虚でなければならず、傲るのは野暮なことだった。
終戦後二十年か、三十年あまりまでは、誰もが実直で礼節を守り、義理堅く律儀だった。
日本人は誰もが人々のお蔭をこうむって、生かされていると考えた。個人という言葉は明治に入るまで、日本語にそのような概念がなかったので、西洋の書物を訳するために造られた新語である。日本語のなかに定着して百年もたっていないから、私たちにまだなじまない。
わたる世間に人の心あり
人々にとって、世間が何よりも大事だった。世間体は世間態(てい)とも書いた。世間体は世間に対する体面であり、見栄だった。いまの私たちはこのような見栄を失っている。隣に住む人と言葉を交わすこともないから、世間という概念がなくなった。
日本人にとって世間というと、天と同じような存在だった。何よりも人と人との絆を大切にした。ユダヤ・キリスト教のように絶対神を想定することがなかった。世間こそが天だった。
私たちはもともと宗教的な民ではない。仏教が伝来すると神仏が混淆したし、明治に入って全国にわたって廃仏毀釈が強行されても、暴動が起ることがなかった。明治以前には宗門という言葉があったが、宗教という個人と同じように新奇な言葉は、明治訳語として造語したものだった。
もし、社会規範に背くことがあれば、「世間体が悪い」といって、一族ぐるみで恥じた。「世間を狭くする」とか、「肩身が狭い」というと、社会の信頼を失うことを意味した。このような規範が、人々の生き態(ざま)をつくった。
ところが、いまの日本では共同体の意識が弱まったために、昭和に入っても長く使われた意味での世間という言葉がなくなってしまった。いまでは人間関係は、駆け引きであるとみられている。
心ある社会をつくろう
「こころ」が日本語のなかで、もっとも多く用いられた言葉であってきた。
日本語には「心尽くし」「心立て」「心配り」「心入る」「心有り」「心砕き」「心利(き)き」「心嬉しい」「心意気」「心合わせ」「心がけ」「心馳せ」「心根」「心残り」「心様(ざま)」をはじめとして、心がつくおびただしい数にのぼる熟語がある。世界のなかで日本語ほど、心を含んだ語彙が多い言語はない。
これは、日本語の大きな特徴となっている。私たちは心を分かち合って生きた。
若い人々は人生が楽の連続でなければならず、人生を娯楽と取り違えた贋の人生観をいだいている。真実から逸脱しているから、精神がひ弱で、傷つきやすい。
もっとも、高齢の男女のなかにも後進を導く責任を忘れ、若造りをして余生を悦楽にひたることに、無駄費いしている者が多い。若者文化は落ち着きがなく、刹那的であるから、若者を模倣するのは見苦しい。
いま、日本は亡国の危機に瀕している。日本の出生率は一・三%だ。人口を現水準に保つためには、二・一%を必要とする。
日本の人口は二〇五〇年には今日の一億二千七百万人から、高い推定でも一億八百万人、低い推定では九千二百万人にまで減る。これは先の大戦によって失った人口より、はるかに多い。少子・高齢化が進んで、生産人口が激減する。国の活力は働く人の数によって、支えられる。
このままゆけば、日本も二〇五〇年には世界の主要国でなくなる。なぜ、危機感をいだくことがないのか。もう一度、日本という母胎のなかに戻って、生まれ直す必要がある。
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