米国共和党の大統領候補、ジョン・マケイン氏は、その戦争体験がとても評価されている。彼がベトナム戦争で何を経験し、何を思ったのか、氏の今春の演説を要約する。
戦争という極限状況のなかでは「すべてがあり」です。情け容赦のない「掃討戦」です。偽り、見せかけ、自己欺瞞というジャングルを通らないと戦争の真実を見つけることはできません。醜い真実もありますし、この上なく美しい真実もあります。
考えられる限りの恐怖とヒロイズムを通して、あらゆる人生を兵士に体験をさせることが平和をもたらすのかどうか? それは戦争の並み外れた皮肉、アイロニー、矛盾というしかありません。普通の人生なら一生かかって知るような体験を短い間に思い知らされるのが戦争だと私は強烈に感じました。
愛するものを失うと、誰でも「深い悲しみ」というものがどのようなものか知ります。そして、子供に人生を捧げるという大きな喜びがどのようなものかも分かります。軍人は、大きな喪失と大きな喜びが同じ瞬間に起こるとき、どのような感じがするかについて分かっています。
その衝撃は人を変えてしまいます。
ヴェトナムは私が人生で最も緊密な友情を築いた所で、それらの友人の何人かは彼らが愛した祖国に生還できませんでした。私は戦争を嫌悪します。それは人間に起こり得る最悪のものではないかもしれません、しかし、それはすべての釈明を越えて「悲惨」です。
戦う勇気も目的の気高さもある、しかし戦争を美化することはできません。たとえどんなに戦果が得られても、軍人が最も強く覚えていることは「喪失感」です。
しかし緊急の武力発動の必要が迫り、戦争がその代償を国民に要求するとき、戦争で失うすべてのために我々は涙をまだ流さなければならないのです。戦争は我々の理想とはかけ離れたものです。
もしも戦争のなかで栄光と言えるものが見つかるとすれば、それは全く異なる概念です。それは追い詰められた、血まみれで、泥だらけの栄光で、無情と忍耐を伴っています。
乗り越えられないほどの苦しみ、惨めさ、虐待という、ひどい退廃の中で持続するのは、「品格と愛」です。我々が「我々自身より大きい何ものかに属している」というのは大きな発見です。
戦争の緊張、混沌、破壊、衝撃の中で、兵士は任務と軍紀に拘束されます。彼らの義務と忠誠を捧げる対象は、彼らの祖国です。彼らの最も強い忠誠心、強固な絆はなにによるのか。ともに戦う僚友への忠節であり、祖国を愛することとはその国の人々を愛することであり、国家の理想に奉じることなのだと理解し、やがて彼らは脱皮(変身)するのです。
その過酷な試練から、彼らはわずかな名誉と尊厳を得るのです。彼らが戦争の凶暴性と損失に耐え忍び、(弾丸の中で)彼らと並んで立っていた戦友たちから「やつは大した男だよ、やつは男さ」と評価されたという名誉です。
私は(出征により)真実を学びました。即ち、「己を越えたところに大きな任務がある」のです。栄光は(国に殉ずるといった)己を越えた無私の偉大なるもの、己を越えた無私の動機、目的、信頼する人々への誠実な行為に対する名誉です。不運、事故、屈辱に見舞われたとしても栄光は不滅です。
捕虜収容所での体験を通して、私はそれまで以上に「回りに生かされている」ことを知りました。それが私を成長させました。
軍隊・軍事には多くの特性があり、それ故に特別な職業とされています。しかし、最も重要な能力は、いかなる困難、混乱、絶望の状況だろうが、任務をやり遂げるという能力です。
兵士は予想外のものを予想し、それを受け入れることを教えられ、どんな逆境にあろうと自分で戦術を修正あるいは応急でつくり戦います。いかなる状況であろうと任務を遂行するように訓練されているということです。
それは、この国ですべての公務に普及させるべき倫理体系であり、アメリカ人がすべてのリーダーに要求すべき資質です。我々は歴史上、最も完成した国です。そして、我々の政治システムは他より優れています。
しかし、我々は大きな変化と挑戦の時代にあって多くの課題を抱えています。これまでの前世代のアメリカ人がしてきたように、我々の子供たちに我々が受け継いだものよりさらに良い国を確実に残さなければなりません。
我々は世界のリーダーです、しかしてリーダーは過去に恋々することなく、未来を恐れません。我々は過去より良い未来を創っていく。我々は歴史から消えません。我々が歴史を作ります。みなさん、それがアメリカの希望の本質です。
勇気の上に築き上げられた希望であり、我々を偉大にした価値観に対する信念です。私はそれらの原則に立ち、我々の偉大な未来へ向けてこの国の前進を手伝いたい。私が生涯かけて仕えてきた人々の判断、良識、評決を信じています。
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