2264 趙明録・金永春と李乙雪 古沢襄

久しぶりに趙明録人民軍総政治局長の姿をみた。このところ病気がちで第一線から退いたという噂もあったが、元気な姿で北朝鮮建国60周年の軍事パレードを閲兵していた。1922年生まれだから86歳。抗日パルチザン世代の生き残りである。
金日成の妻・金正淑の戦友だったことから、金日成没後の後継者争いで金正日の後ろ盾となり、朝鮮人民軍のトップとして金正日総書記を支えてきた。北朝鮮の最高指導機関は共和国国防委員会だが、趙明録は金正日国防委員長に次ぐ第一副委員長の職にある。北朝鮮人民軍切ってのタカ派ともいわれる。
軍と党の両方ににらみをきかす趙明録の健康不安説が出て、韓国筋の情報機関からは、大腸と腎臓病で北京の病院に入院説あるいは一部には死亡説もあった。このところ北朝鮮の軍部で強硬派が台頭しているといわれているが、趙明録の健康不安説と関係があるとも言われている。
そこで登場したのは趙明録第一副委員長を支える二人の副委員長の一人として二〇〇七年人事で登用された金永春次帥の存在である。総参謀長当時から急進強硬派ホープの金正日側近といわれている。
金永春の後任となる総参謀長には、野戦軍司令官だった金格植大将を持ってきたのも異例の人事。北朝鮮人民軍は完全に趙明録・金永春・金格植の急進強硬派が握ったといえる。軍事パレードを閲兵する趙明録の側には金永春の姿もあった。
高齢の趙明録に代わって金永春副委員長が共和国国防委員会の実権を握ったのかもしれない。金正日のお気に入りで、ロシア・モイセーエフ国立アカデミー民俗舞踊団の公演では、金正日と並んで鑑賞する姿が目撃されていた。
もう一つ気になる情報がある。失脚したと言われていた李乙雪護衛総局長の復活説である。李乙雪は抗日パルチザン世代で金日成の信頼が厚かった。護衛総局は首都防衛師団の別名で、三万五千の兵力を持っている。
金日成の没後も金正日護衛総局長の職にあったが、二〇〇三年に解任された。北朝鮮人民軍では最高位の軍元帥の階級章を持つ元老だが、頑固な「猪突型」という風評があった。
失脚後に「パルチザン元老、金日成の護衛、伝令出身。金日成の信任は極めて高かったが、金正日の信任は多少落ちる。一時、能力のある軍事指揮官という評価も受けたが、神経質で、部下に悪態をつくことが多く、信望を得ていない。現在は、高齢と軍事安逸主義の傾向により無能と評価されており、権力一線から退き、革命元老としての待遇を受けている」と痛烈な批評もでていた。
この李乙雪が復活したすれば、どういう意味を持つのか。金正日の重病説と関係があるのだろうか、気になることである。
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