福田首相の辞任表明にともない、自民党の総裁選に向けて、麻生幹事長はじめ複数の立候補者が出る様相であるが、それによって国民の総裁選に対する関心も高まりつつある。従来の総裁選とは異なり、厳しい国会内の状況があり、乗り切ることが困難な中、臨時国会に向け内閣改造を行なった矢先であるのに突然の辞任劇は国民にとって全く理解しがたいものであった。
まさに自民党の危機、国家の危機的状況の中、自民党内にも一騎当千の政治家が存在していたこと自体は、民主とは異なり、政策論議の活性化と国民の政治離れを食い止めるためには最低限のラインをクリアしたのではないかと思う。
ただ大いに不満足感が残るのは、今回の総裁選の焦点についてマスコミや政治家が経済政策や社会保障の相違であるといい、「積極経済」「経済再建」「上げ潮」などの言葉で違いを比較しようとしていることだ。
確かに国民の生活保障のためには重要なことであろうが、しかしこうした線引きをしてしまうと、政治のダイナミズム、言い換えれば米大統領選の候補者のような人間性むき出しの国家を背負う理念や気概のようなものが感じられなくなってしまうのではないか。
総裁選では、拉致問題に対してはどう向き合うのか、中国との中間線に爆撃機で恫喝を加える中国とどう向き合うのか、新テロ特措法延長をどう成立させようとしているのか、テロ防止のための集団的自衛権の行使をどうしようとしているのか、憲法をどうしようとしているのか、大いに語るべきだ。
少し疑問なのは立候補者が政権公約をこれからまとめるという言い方を多く政治家が口にするが、いままで自分が政権をとることを考えていたならば、とっくにまとめていてしかるべきであるであると思う。
自民党は党の存亡をかけ、総裁選を展開すべきである。
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