ワシントンポスト2008年9月14日
<アメリカ黒人の希望は彼の双肩に。しかし、勝敗の行方は五里霧中>寄稿:ランダル・ケネディ(ハーバード大学法科教授)
私は1954年、公民権をめぐるブラウン対教育委員会裁判の年に生まれた黒人である。黒人の一般施設利用を制限したジム・クロウ法の虐待を避けて、生後から10年間、私の両親はサウスカロライナからワシントンD.C.へ移り住んだ。
人種的な抑圧とそれに対する抵抗の話は、我が家の会話の中心にあった。父はしばしば初のアフリカ系アメリカ人の最高裁判所判事サーグッド・マーシャルによる、サウスカロライナの民主党予備選で投票権を白人だけに限定した規則を無効にしたケース(ライス対エルモア裁判)についてよく話していたものである。
その記憶もあって、私はバラク・オバマがサウスカロライナ州での予備選挙に勝った晩に涙を流した。
こんな記憶もある。人種分離主義者により殺された全米有色人種地位向上協会のミシシッピ支部長、勇敢なメドガー・エヴァーズに最後の敬意を表すため、我々はDC斎場を訪問した。この思い出がよみがえり、イリノイ州選出の上院議員(オバマ)が民主党の指名を受けて大統領候補になった夜、私は再び泣いた。
私の感情が政治運動によってこれほどまで揺さぶられたことはなかった。これまで、これほど多くのタブーにチャレンジした候補者はいなかったからだ。黒人を含むすべての人種の人々は、白人以外を大統領に想像することなどあり得なかった。
知性と力と優雅さで、オバマは「黒人の大統領」について考えさせ、その考えを魅力的にした。
オバマ上院議員の進歩的な政治観、国際性と実践的なスタイルは、私を熱心なサポーターに変え、私は彼の勝利を期待している。私は非常に密接にこの選挙を観察しており現在、大学でそれについて講義しているほどだ。
だからこそ私はこの選挙の行方が不確実なことを知っている。政治的な潮流は、ホワイトハウスに共和党が2期8年務め続けたことへの反発から民主党候補を優位にしているようではある。それでも、オバマは負けるかもしれない、という可能性は現実的にある。
それが現実に起きると、どうなるのか? どのように私は感じるだろうか? どのように他の黒人は感じるだろうか? どのように私のような人々は感じることになるのか?
潜在的な敗北要因というのは大きい。1960年9月にジョンF・ケネディ上院議員は、初のローマカトリックの大統領になるために、宗教についての国民の懸念を和らげる必要から、テキサスのプロテスタント系団体で演説した。
彼はスピーチの終りに、彼が「本当の問題に関して」選挙に負けるのならば「公正に審判された」と納得し、彼の上院の議席に戻る、しかし4000万人のカトリックのアメリカ人から大統領になる機会を奪うという宗教的偏見(バイアス)で審判されるならば、「歴史の目、国民の目で見れば、敗者は米国そのものだ」と語った。
黒人が今回の選挙を「本当の問題に関して」決定され、そしてオバマが「公正に審判される」と信じるかどうか。これは今後の展開にも影響する。
最後の追い込みの数週間の選挙キャンペーンの様相(人種をテーマに盛り上げるのか?)、そして、最終的な投票集計の人口統計学的分析(伝統的に民主党に投票した人々は、今回は違う投票をしたのか?)を含む影響である。
私は大部分の黒人は、オバマが敗北すれば、4000万人のカトリックから大統領になる機会を奪うというのと同様な偏見ゆえに、「黒人だから」大統領にはなれなかったのだとまずは思うだろうと推測する。
彼らはもちろん人種が唯一の理由ではなかったとは思うだろう。党内の協力、イデオロギーの傾向、戦略的な選択、運の良し悪しも重要だったと思うだろう。
しかし、彼らの心の奥底ではこう思う(それはおそらく当たっているだろう)、「人種が鍵となる要素であった」と。
2人の候補者は片足には人種的な靴を履いていた。白いジョン・マケインは黒い靴、黒いオバマは白い靴で、オバマの黒さが勝るから、結局は人種で結果が異なったのだと。
この結論は大きな失望を伴い、怒りもあるだろう。オバマ・キャンペーンの初期には、多くの人々が彼が勝つ可能性があるとは思っていなかったので、彼のライバル(ヒラリー・クリントン)は黒人の間で彼より多く得票した。
ところがオバマはアイオワで勝利し、ニューハンプシャーで並んだ。黒人がオバマ勝利のチャンスありと見て、その大きな影響を理解したとき、彼らは雪崩を打つようにオバマ支持へ動いていった。
マーティン・ルーサーキング・ジュニア牧師の有名な演説「私には夢がある」45周年の記念日にあたる週、候補者に指名されるとオバマはキリスト再臨のような熱狂をあびた。
「オバマは生涯でただ一人の黒人候補だ」と、私のコースを受講している学生は書いた。「私の両親と祖父母がこれまでに見た、そして多分私の世代が見るだろう、おそらくただ1人の本物の候補者だ。私のすべての望みは彼とともにある」。このような望みがつぶされたときの痛みを想像してほしい。
黒人はもちろん多様である。一部の黒人の保守派(コラムニストのトマス・サウエルやオハイオ州前知事ケン・ブラックウェル)は、疑う余地なくオバマ敗北を喜ぶ。オバマは結局、彼らのイデオロギーの敵だからだ。
オバマに反対する黒人左翼もいる。「Progressive誌」に寄稿したペンシルベニア大学のアドルフ・リード教授は、有権者にオバマ(マケインも)を拒絶するよう訴えている。なぜならオバマは「空虚な日和見主義者」で、ビル・クリントンのようにアメリカの政治的な枠組みの左端を保守しているだけと説く。
それに近いのがオバマ敗北によって安心するひとつの黒人陣営で、オバマが勝利すると、アメリカは大規模な人種問題の改革はもはや必要でないという誤解を招くメッセージになりかねないと恐れているのだ。
オバマが政治的な争点をつくり共和党候補に代わる進歩的な政策を声に出して自らを危うくしたと思っている静かなる人々は、オバマが負ければ憂鬱な気分で「やっぱりな」と思うだろう。
オバマ敗北に無関心な黒人もいる。彼らは大統領選の結果が彼らの悲惨な運命に少しの影響も及ぼさないと思っているからだ。他は、失望の痛みに備えて、期待を抑制してきた。
オバマが負けても私の母は「お気のどくに」と思うだろうが、母は自身に高望みすることを許さなかったので、幻滅することはないだろう。母はずっとこう主張してきた。「白人の人々は、何とかしてでもオバマが大統領になるのを許さないだろうよ」。
母の言葉は注目に値する。母は3人の子供たちに成功を与え、全員がプリンストン大学に通い弁護士(1人は連邦裁判官)になった。しかし、多くの人種的なバリアが崩れるのを見てきた母であっても、母はオバマ現象に埋没して自身を落胆させる気はないのだ。
もしオバマが負けたら、私は失望し、不満に思い、傷つくだろう。素晴らしい機会を失ったと結論するだろう。アメリカの有権者は大きな間違いをしたと思うだろう。
彼らのミスの重要な要素が人種的な偏見(私の両親の青春期を脅した憎むべき、怒鳴り声の、単純な偏狭さでなく)むしろ漠然とした、洗練された、控え目の偏見とも言うべきもので、新しい環境に適応し隠れる能力をもつカメレオンのような偏見だろうと思う。
もしオバマが敗れたら、私は短時間であれ、落胆、怒り、憤慨の感情に捉われるだろう。
これらはより強い感情だろう。と言うのもこの選挙の風向きは明らかに民主党に有利だったし、共和党は絶対に勝てない選挙だと思われていたし、私の考えでは、オバマ・チケットは明らかにマケインのものより優れていると思われたからだ。
しかし、私はすぐにその後で、この前例のない進展を考えることで慰めと励ましを得たいと望むだろう。大政党が我が国で最高級のオフィス(ホワイトハウス)に相応しいと黒人を候補者に指名したのだ、そして、その黒人は知的で勇敢なキャンペーンを行い、あらゆる人種の数百万のアメリカ人が熱心にアフリカ系アメリカ人の旗手を支えたのだ。
私は、私の学生のうちの2人が授けてくれた知恵を好きになりたいものである。1人はこう書いた。「オバマ落選は痛々しいが、それであっても相当な進歩であり、変化はやって来る(change will come)。車輪は回り始めたのだ」。
もう1人はこう書いた。「たとえ敗北に直面したとしても、変化を信じ、変化が可能なときに備えなければならない」。
たとえオバマが11月の本選に負けたとしても、彼はすべてのアメリカ人、一番がっかりしたであろう彼の熱烈な支持者にさえも、変化は可能なのだという励ましと誇りを残した。彼は頂の端に到達し、そして、我々が頂上に立てるのだということを示したのだ。(敬称略)
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(9月20日現在2333本))
2331 もしもオバマが負けたなら 翻訳:平井修一

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