2361 皇太子妃雅子さまの首相演説草稿 花岡信昭

なにやら、このところの政治は「サプライズ」の連続である。福田康夫氏の首相退陣に始まって、麻生太郎新政権がばたばたと生まれ、小泉純一郎元首相が引退を表明し、中山成彬氏が「失言」で国土交通相をわずか5日で辞任する。もっとも、政界は来るべき衆院解散、総選挙に向けてまっしぐらに突っ走っているから、新幹線の車窓から見る景色のように、あっという間に通り過ぎる。
だから、いちいち驚いてなどいられないのだが、麻生首相の所信表明演説にはうならされた。新聞社在勤時代を含め、政治ウオッチャーを30年ばかりやってきているから、施政方針、所信表明など首相の演説は(厳密に勘定したわけではないが)100本ぐらい扱ってきた。本会議場で聞いたり、草稿を読んだり、テレビで見たりと形態はさまざまだが、最後まで「飽きなかった」のは初めての経験である。
政治には「言葉」が最も重要であると多くの人が指摘しているものの、国会から「名演説」が消えたといわれて久しい。そういう実態のなかで、今回の麻生首相の所信表明演説は日本政治に演説を復活させ、ディベートを根付かせるうえでも貴重である。
「かしこくも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました」
「118年になんなんとする、憲政の大河があります」
「日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄のごとき、連綿たる集積があるのであります」
「この言葉よ、届けと念じます」
「日本は、強くあらねばなりません」
「日本は、明るくなければなりません」
冒頭部分からいくつか引用してみたが、これは役人の発想では出てこない表現である。そして、この「就任にあたって」の次に「国会運営」に言及、民主党に対して、「政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります」と激しく攻撃し、対決姿勢を鮮明にした。
ほかの野党はまったく出てこない。そこには、「自民 vs.民主」の2大政党時代を踏まえ、「麻生自民」と「小沢民主」が真っ向からぶつかる「政権選択選挙」をいや応なく国民に意識させようというねらいが込められていたと思える。
☆徒労感を感じる これまでの演説草稿
首相の演説はどういうプロセスで作成されるか。各省がそれぞれ言及してほしいことを提出し、これを首相秘書官(おおむね、財務省、外務省、経済産業省、警察庁から出ている)がまとめる。これに、首相の性格にもよるが、朱を入れて何度か往復があり、固められていく。
だから、できあがったものは、役人の文章の集大成になってしまう。内外課題を網羅しようとするから焦点が絞りきれない。最後のところに、秘書官が探し出してきた故事来歴のエピソードを一つ加える。いかにも付け足しの印象を深めるだけに終わる。これが成功したのは最近では小泉政権の「コメ百俵」ぐらいだろう。
首相演説の解説記事もずいぶん書いてきたが、「総花的」と形容すれば、まず、こと足りた。あれもこれもと盛り込んでいるのだから、そうとでも言う以外にないケースがほとんどであった。
首相の演説草稿は、演説が行われる前日か前々日、在京各社の論説委員・解説委員(各社3人まで)が首相官邸に集められ、その席で初めて示される。内閣記者会への提示はその後である。
この会合には首相、官房長官以下、官邸の幹部がずらりと並ぶ。ここで首相が演説の趣旨やねらいを説明するのだが、その発言は完全オフレコ(記事にしてはいけない)の扱いになっている。演説の解説、論評の際の参考にするだけである。
以前は官邸の職員が全文を読み上げた。この役所的手法は効率的ではないとして、いつのころからか、会合の始まる30分ぐらい前に、演説草稿のコピーが席に置かれるようになった。論説委員や解説委員は早めに来て、これを読むのである。読み終えて、なんともいえない徒労感のような空気が支配する。その雰囲気をいまだに覚えている。
そうしたことからすると、今回の演説原稿は、異色の出来栄えである。役人言葉がほとんど出てこない。麻生首相のナマの言葉が散りばめられている。かねがね、首相官邸に米ホワイトハウスのようなスピーチライターが必要であると感じてきたのだが、今回の草稿をまとめた「アンカー」の力量はなかなかのものだ。
その点からも、この所信表明の作成過程が、官僚支配から「政治主導」への脱皮を意図したものであるのならば、これは大歓迎である。
☆竹下首相を驚かせた演説草稿の書き手
もっとも官僚が作成した首相演説でも、出色の内容となった例がないわけではない。竹下登氏が首相時代、環境関係の国際会議に出て演説することになった。外務省と官邸の間で演説草稿がまとめられていった。
何度目かの原稿で新たに加えられた部分があり、竹下氏を驚かせた。「ハス池のナゾ」というくだりである。こんな内容であった。
「ある池がありました。そこのハスは1日で倍に増えるのです。ある日、池の全面がハスで覆われ、小魚などは死滅してしまいました。それでは、この池の半分がハスに覆われていたのはいつごろだったでしょうか」
この答えは「前日」である。環境問題は放置しておくと取り返しのつかない事態になる、ということを象徴的に示したものだ。
竹下氏はだれがこの部分を付け加えたのか、調べさせた。「小和田事務官でございます」という回答があった。いまの皇太子妃、雅子さまである。
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コメント

  1. 朱鷺 より:

    美智子様の結婚は誰も喜びました。そして浩宮のご誕生。窓を開けて皇子を見せてくれた美智子様。そこには凛とした意志がありました。雅子さんを選んだ皇太子は母とその女性をどこかで重ねていると思います。
    雅子妃の花が開く皇室になるようにと思います。心を開いてそして自己実現する場を得ることは彼女の権利であり、提供できるだけの距離をもって見守るのは国民の義務でもあります。

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