宮里藍は別段私の勧告を受けて帰国したのではなく、アメリカでのシーズンが終了しただけであろう。満を持して日本女子オープン選手権に出場した。見事に2位タイという成績を残した。
あるアマチュアのシングル・ハンディキャップによれば「1位には往々にしてフロック(flukeである)があるが、2位は真の実力者であることが多い」。であれば、宮里藍は母国に帰って実力を遺憾なく発揮したことになる。
土・日と連続してテレビ中継を途中から見ていたが、宮里の試合振りはアメリカにいた頃とは違って、何か目の上の“タンコブ”というか、彼女を圧迫していた有形無形の圧力から解放されたか、自信ありげであった。
こうなることは十分に予測できたし、あり得ることであろうと思う。私自身は二十有余年のアメリカ会社勤務で経験したことだが、彼らの中に初めて入り共に仕事をする際に感じた圧力(目に見えないプレシャーでも良いだろうが)には予期せざる恐怖すら感じたものだった。
その間何度か本社出張の時に空いているオフィスを借りて1週間ほど仕事をしたことがあった。初めは何事もあるまいと軽く見ていた。
だが、実際には東京事務所と根本的に異なる条件があり、それが目に見えない途方もない圧力としてのしかかってきた。
それは直接の上司であった副社長兼事業本部長の他に彼らが言う”middle layer”と呼ぶ中間管理職もいるし、もっと上に行けば上席副社長、執行副社長、CEOと経営の幹部が、同じ階ではないまでも在社して仕事をしているのである。
全く関係ないと思っていても、階層を為して上司がいるという事実だけで、実際にそのようなことはないと解っていても、上から抑えつけられているように感じるのである。
W社本社はパーティションで仕切られた個室で構成されており、彼らの身の丈から上は解放された空間である。だが天井には超音波が流されていて下から上がる音が全て吸収されるので、隣の部屋の電話の声すら聞こえない静寂である。その静寂すらも圧迫感を感じさせるのだった。
何を言いたかったかと言えば、宮里藍はこれと似たような空間で仕事をしていたのではなかったにせよ、目に見えない圧力と戦って上で、体力・身体能力に優れた世界各国から目にもの見せてやろうと集まってきた優れた実力者と戦うのは容易ではないと言ってきたことである。
実は、私もアメリカ人の中で仕事をすることに馴れていなかった間は、160センチにも満たない身長では、何か話をしようと思えば常に上の方を仰ぎ見る形なっていた。これは精神的のみならず身体的にも負担であり、余計に疲れを感じさせてくれた。
だが、これも1~2年を経て「アメリカ人何するものぞ」と解った後は、上を向くこともなくなったようで負担ではなくなってきた。アメリカ滞在中の宮里藍を見ていると、この身体的ハンディキャップとも未だ戦っているやに見えた。だからこそ「帰国すべし」と唱えたのである。
5日は確かに手探りには見えたが、アメリカ滞在中とは異なる姿勢で余裕を見せてゴルフをやっていた。だが、最後になって同国人の不動裕理に追われ、また私が最も強敵と見なしていた韓国の李知姫の勝負強さにやられてしまった。残念な結果だったが、私は十分に存在感を見せたと評価している。
この結果から見ても、宮里藍は地位と実力に優れた対抗馬=上司が沢山いるゴルフのアメリカ本社よりも、日本支社で伸び伸びとプレーする方が本領を発揮できるだろうから、このまま支社に勤務することを薦めたいと言いたい。
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