以下はすべてフィクションである。実在の人物、企業とは一切関係ない。ただの妄想なので、カルーク読み飛ばしてほしい。
小生の仲人、田島泰治(仮名)は1970年代の初期、マルチ商法の幹部であった。それ以前から「天下一家の会」などがあったので、その分野での嚆矢ではないが、「M資金やら豊田商事事件など、あらゆるマルチ商法、イカサマ商法にはAPOジャパンの人脈がかかわっているよ」と言っていた。
田島は青森県津軽地方の貧しい豆腐屋の長男として生まれ育った。早稲田大学の夜間に入ったが、仕送りもなく挫折。赤坂の巨大キャバレーのボーイとして社会人のスタートを切った。
田島が人より勝れていたのは社交性と英会話。数年でキャバレーの支配人になった。それから外国航空会社、外国船会社、外資系ホテルに転戦した。大学の人脈がないという強烈な学歴コンプレクスが、田島を「年収至上主義」へと煽った。
スチュワーデスを嫁さんにした、マンションも買った、毎晩銀座で飲んで、豪遊した。ソープランドで締めくくり、朝帰りすると「今夜は大学院コースだ」と笑った。そして、APOジャパンと出会った。
APOジャパンの幹部として、田島は営業力、説得力、人脈をフルに活かし、新たな会員を増やしていった。
1972年4月28日の一流ホテルので説明会。会場に向かうタクシーの中で田島は舌打ちした。6時開演なのに車は渋滞に巻き込まれてしまった。「今日は沖縄反戦デーとかで、過激派が暴れているんですよ、いやはやどうにもなりませんねえ」と運転手が気の毒そうに言った。
「くそっ! 苦労しらずのボンボンが労働者のためだって? 冗談じゃねーよ、土下座する苦労を知っているのかよ」
田島はボソッとつぶやいた。
30分遅れで会場へ着くと、もう怒号の嵐だった。殺気だっている。田島は土下座した。「申し訳ございません、皆様の貴重な時間を奪ったお詫びに説明会の最後にお車代として1000円をお支払いいたします。そして、今夜、皆様をお待たせした罰として私はこうして償います」。
田島は財布から1万円札を取り出し、ライターでそれに火をつけた。おおっと言う声が上がり、そして誰もが息を呑んだ。一瞬、シーンとなった。
田島の熱弁が始まった。
「皆さん、お金はいくらでも、努力次第で作れるんです。APOジャパンのシステムはそれを可能にしました。皆さんが汗水流して我が社のベーパーインジェクターを売り歩く必要はありません。あなたの代わりに売り歩く代理店を作るんです。
10の代理店を作る。アナタは地域のシニア代理店になります。その代理店が各々10、計100の提携店を作ります。提携店が各々10、計1000のセールスディレクターを作ります。つまり、あなたは1000人の優秀な販売員を得るのです。あなたがお客様に直接売る必要はないんです。
シニア代理店のマージンは70%です。定価1万円のベーパーインジェクターを3000円で仕入れられる。ベーパーインジェクターは全米自動車協会から世紀の発明、燃費効率は抜群に向上と評価されており、近く通産省もその認定をします。
認定されたら類似品が出回ります。我々が創業者利益を得るのは今しかありません。ご案内のように、シニア代理店の権利金は要りません。代理店確保のための100個、30万円で、あなたは夢の高額所得者への権利を手にするのです」
田島の話の後は「成功者」の体験談に移った。聴衆は魅了された。シニア代理店の申し込みに皆が殺到した。
数ヵ月後、「APO、詐欺の疑い」という記事が載った。「ベーパーインジェクターの効果は確認されなかった、むしろエンジンに害」という内容だった。祭りは終わった。
田島は言った。「友人、親戚などのネットワークと信用をすべて金に換えてしまった。マルチってそういうことなんだよ」
田島は友人、知人の損害を弁済する決意をして、堅気になった。マンションから団地へ移った。田島の武勇伝を知っている出版社の社長は面接で田島にこう聞いた。「うちみたいなところでいいんですか?」
ネットワークビジネスは一歩間違えると「悪徳マルチ商法」になりかねない危うさをもっている。
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