萬鉄五郎記念館が1994年に発刊した「北斗会の人々」という写真集がある。岩手の近代美術に足跡を残した人々の洋画(101点)、日本画(20点)、彫刻(14点)、工芸(14点)が収録されている。
美術品は個人所有のものが多いから、こういう形で見れるのは便利このうえもない。だが私が興味を惹かれたのは表紙画になっている一枚の写真であった。
この写真は1934年6月7日に東京堂二階ギャラリーで開かれた第六回北斗会展会場で写した十八人の記念写真。三列の中列、左から四人目に叔父に当たる岸丈夫、その右に松本竣介が並んで写っている。ともに旧制盛岡中学の同窓生。
岸丈夫は本名が古沢行夫、1926年に盛岡中学を卒業している。1933年に横山隆一、近藤日出造、杉浦幸雄、中村篤九らと「新漫画派集団」をおこした。いずれも近代漫画の祖・岡本一平のお弟子さん。だから洋画家をあきらめて漫画家になっていた筈だが、まだ洋画家の顔をしている。第六回北斗会展にも作品を出品している。
松本竣介は1928年に盛岡中学を中退して上京し画家の道一筋に賭けていた時代。まだ童顔のあどけない顔が残っている。岸丈夫も松本竣介も東京・下落合に住んでいた。
1934年の写真で深沢紅子の姿がみえる。前列の右から二人目。すでに深沢省三と結婚しておしどり洋画家と言われていた。深沢省三は中列の岸丈夫から左に一人置いた位置で写っている。省三が35歳、紅子が31歳の時である。
盛岡に生まれた深沢紅子(旧姓・四戸)は1919年に盛岡高等女学校から東京女子美術学校に進学、卒業後、多くの作品を残しているが、私は二枚の「さんさ踊り」が好きである。
その作品を展示・収納する「野の花美術館」が盛岡市にある。志賀健次郎さんの長女・かう子さんが館長をやった縁でよく見学に訪れたものである。
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