田母神俊雄・前空幕長の「論文」問題は、なにやらおかしな方向に波及しつつある。
ひとつは、退職金の返納を求めるという話だ。懲戒免職になったのならともかく、防衛省は定年退職というかたちを取った。退職金の返納というのは、田母神氏にいわば「非行」があったということになる。これはスジ違いというべきだ。
田母神氏が返納に応じたら、自らの「失態」を認めたことになってしまう。論文が最優秀賞になったことで、「お騒がせ」したのは事実だが、それ以上でもそれ以下でもない。
むしろ、田母神氏はこの論文によって、自虐史観や東京裁判史観からの脱却という重いテーマを表舞台に引き出してくれた。その功を認めるべきである。
それから、航空自衛隊幹部ら78人が応募していたことも明らかになったという。
当方はこの論文募集に審査委員として関わったことを明らかにし、選考経過などもあちこちで書いたりしてきた。その立場からすると、入選作13点以外は関知しない。
論文審査は何度も書いてきたように、執筆者の氏名を削除したもので行い、最終段階で氏名が明らかにされたのだ。入選作以外については、たとえ知っていたとしても、明らかにすべきではないというのが、こちらの立場だ。
これは個人情報に属することでもある。
航空幕僚監部教育課が応募を呼びかけたことが問題となっているようだが、空自幹部たちが「近現代史」について、日ごろ感じていることを論文にまとめて応募することのどこが悪いのか。
むしろ、空自幹部たちの意識の高さを改めて知った思いだ。これは自衛官が個人の意見を外部で表明することの是非という問題にもつながる。基本的には、封殺することのほうが危険だ。
民主党などは幕僚長人事を国会同意人事とするよう、求める方針という。国会同意人事があまりに多すぎて、日銀総裁の空白といった事態を招いたことも想起したい。
自衛隊トップはときの政権がその責任において決めればいい。いまのような衆参ねじれの政治状況下で自衛隊幹部人事が政争の具になることのほうが、よほど危うい。
自衛隊トップが空席になったりしたら、安全保障の根幹にかかわることになる。
要は自衛隊という国家の「戦力」を有した巨大組織を、いかなる立場に置いておくことが望まれるかという根源的な問題に突き当たる。
言いたいことも言えずに「貝」になることを求めるのか。それがシビリアンコントロールとは思えない。
責任のある論議ならば、制服が表でいかなる発言をしようと、これを認め合う寛容さがほしい。自衛隊を逼塞状態に追い込むことは、政治にとって最悪の策だ。
【以下、産経6日付の「正論」】引用
【正論】小堀桂一郎 空幕長更迭事件と政府の姿勢
≪到底黙視し得ない事態≫
1日付本紙の第1面で航空幕僚長田母神俊雄氏の更迭が報じられた。理由は田母神氏がある民間の雑誌の懸賞募集に応募し、最優秀作として掲載される予定の論文が、所謂(いわゆる)「過去の歴史認識」に関して従来政府のとつてきた統一見解と相反する、といふことの由である。
この件に関しての高橋昌之記者の署名入り解説は適切であり、2日付の「主張」と合せて結論はそれでよいと思ふのだが、一民間人としても到底黙視し得ない事態なので敢へて一筆する。
田母神氏の論文を掲載した雑誌は間もなく公刊されるであらうが、筆者は既に別途入手して全文を読んでゐる。それに基づいて言ふと、本紙に載つた「空幕長論文の要旨」といふ抄録も、全文の趣旨をよく伝へてをり、大方の読者はこの「要旨」によつて論文の勘所を推知して頂(いただ)いてよいと考へる。
田母神論文を一言で評するならば、空幕長といふ激職にありながら、これだけ多くの史料を読み、それについての解釈をも練つて、四百字詰め換算で約18枚の論文にまとめ上げられた、その勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作である。
≪栗栖事件に連なるもの≫
その内容は、平成7年の大東亜戦争停戦50周年の節目を迎へた頃から急速に高まり、密度を濃くしてきた、「日本は侵略戦争をした」との所謂東京裁判史観に対する反論・反証の諸家の研究成果をよく取り入れ、是亦短いながら日本侵略国家説に真向からの反撃を呈する見事な一篇(いっぺん)となつてゐる。
筆者は現職の自衛隊員を含む、若い世代の学生・社会人の団体に請はれて、大東亜戦争の原因・経過を主軸とする現代史の講義を行ふ機会をよく持つのだが、これからはその様な折に、この田母神論文こそ教科書として使ふのにうつてつけであると即座に思ひついたほどである。
ここには私共自由な民間の研究者達が、20世紀の世界史の実相は概ねかうだつたのだ、と多年の研究から結論し、信じてゐる通りの歴史解釈が極(ご)く冷静に、条理を尽して語られてゐる。
そして、さうであればこそ、この論文は政府の見解とは対立するものと判断され、政府の従来の外交姿勢を維持する上での障害と看做(みな)されて今回の突然の空幕長解任といふ処置になつたのであらう。
1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。
現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。
≪村山談話は破棄すべし≫
我々が「真実」だと判定する田母神論文と相容れないといふのなら、政府の公式見解は即ち「虚妄」といふことになる。
実にその通りである。政府見解の犯してきた誤謬の罪も中曽根、細川両首相があれは侵略戦争だつたと言明して以来の長い歴史を経てゐるが、決定的な罪過は平成7年の村山富市談話である。
あの年の夏、国会による過去の戦争についての謝罪決議といふ、世界史上未曾有の愚行がすんでの所で実現しかかつたのを、国民運動による506万人分といふ数の決議反対署名を以て辛うじて阻止した。
すると村山首相がまさに民意の裏をかく卑劣な手管を弄し、総理大臣談話といふ形で謝罪決議が目指した効果の一半を果すの挙に出た。
それ以来、内閣が交替する度毎に、歴代首相は政府の歴史認識は村山談話を踏襲すると宣言しては、外交上の自縄自縛状態に閉ぢ籠り続けた。
この閉塞(へいそく)状態を打開してくれる尖兵として我々が期待をかけた安倍晋三氏もそれを敢行してくれなかつたし、今度の麻生太郎氏も、田母神論文を排して村山談話に与(くみ)するといふ選択をはつきりと見せつけてしまつた。
この選択の誇示によつて、懸案の同胞拉致も領土問題も、靖国神社公式参拝問題も全て、国民の期待と希望を大きく裏切つて又しても解決が遠のく。国民の名誉と安全が脅かされてゐる事態は解消しない。然し田母神氏の更迭事件は我々に或る大きな示唆を与へてゐる。
即ち、今や村山談話の破棄・撤回こそが、国民の安全にとつての最大の政治的懸案となつたのである。(こぼり けいいちろう、東京大学名誉教授)
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2467 「田母神論文」本質を見据えたい 花岡信昭
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